『屋上の音楽』主催, 株式会社 Roller`s hight!! 代表取締役

コヤナギシンジ

1971年 福岡県出身

1971年福岡生まれ、福岡在住のシンガーソングライター。10代から現在に至るまで福岡で歌い続けながら「オリジナル曲を歌う」「バーやカフェでライブを行う」など、今や当たり前となっている文化を根付かせた当事者の一人。その経験をもとに自己の表現と修練の場をそのままライブステージとしてショウ化したイベント『屋上の音楽』を立ち上げる。また、ファッションブランドを展開する株式会社 Roller`s hight!! 代表取締役の顔を持ち、服や小物のデザインも行う。国内外、メジャー、インディーズなどシーンを問わず、「モノ」をつくることで人と人を繋いでいく人生を、ひたすらに楽しんでいる。

2003年、ローリングストーンズ来日記念ジャパントリビュート作品「IT’S ONLY ROCK’N ROLL(BUT WE LIKE IT)」(東芝EMI)参加。2007年、大瀧詠一トリビュート作品「Niagara AUTUMN&WINTER ~Niagara Cover Special~」(NMNL Records)参加。2014年、カンヌ映画祭招待作品「そんな愛のはなし」のエンディングテーマ曲「その愛のウタ」を楽曲提供(作詞作曲)。2017年、福岡市天神某ビルの屋上の一室、Studio501にて『屋上の音楽』を立ち上げる。

http://www.waltz-elegy.net

 

Feel the roots, "Introduction".

土地に根付き、街を見つめ、人と関わり続けることで生み出されたコヤナギシンジさんの歌は、地方発信という言葉が根付く前から当たり前のように続けてきた呼吸の詩だ。

30年近く福岡で歌い、人とモノと音楽を見つめ続けた先にたどり着いた、1つの形としての「屋上の音楽」。そこから見られる彼の福岡への愛は、確実に文化の一角を創り上げている。

今回はそんな彼の思いの深奥を引き出せるよう、インタビュアーを彼と交流のあるイチマルイチデザインのディレクターでありミュージシャンでもある土屋が担当した。

「福岡のことしか考えていない」とまっすぐに語るコヤナギシンジさんの思いを聞いてほしい。

Karnel 編集部

 

Interview

Q. まずは「屋上の音楽」について教えてください。

A. 自分にとっての最高の音楽とは何かを追及する「寄席」。

――まずは、屋上の音楽について聞かせてください。

名前の由来は単純にこのStudio501がビルの屋上にあるから付けただけだけど、とりあえず始まりとしては「寄席」やね。

ライブハウスではなく、落語の寄席に近い。例えば真打になったら、自分の寄席を作って……、みたいな。会社勤めだったら、やりたいことが見つかったから会社を立ち上げる。そういった感覚と一緒で、自分の音楽をやる場所を持とうと思った。

俺もみんなもココ(Studio501)でやることをまとめて「屋上」って呼んでるから、「屋上」=「屋上の音楽」と思ってもらっていい。

――「屋上」は、ミュージシャンとしてシンジさんがやってきたことを見せる場所、ということでしょうか。

そうね。その意味でライブをやる場所でもあるし、見せるだけじゃなくて、仲間たちとアイデアを持ち寄って形にしたり、音楽の技術をシェアする場所でもある。

少し前によく耳にしたノマド(ワーカー)たちの、シェアオフィスの感覚に近い。

(カメラマンに向いて)カメラマンだってありますよね、スタジオをシェアしたり。

あと、俺が古い人間だからそう思うのかもしれんけど、何かしらの場所を持たんといかんって感覚がある。

――「自分の城」のようなもの?

いや、「城」ってほど大げさじゃないよ。「屋上」はどちらかというと鍛錬に重きを置いていて、そういった意味では「稽古場」のようにもっと身近なものだし、技術を研究するラボのようなイメージも持っている。

カメラマンがいるんで例えるけど、プロのカメラマンは光の作り方が上手な人ほど個性が際立つと思ってて、そういった個性を持っている人は、どんなロケーションでもその環境に合った光を作るよね。それは現場での経験を重ねて、その日の天気、建物の構造、いろんな条件を経験の中で組み立てて作り上げる。

ただ、そういった経験が生きるのは、基礎的な技術と「光」に対する研究の上に成り立つものだと思ってて、それは「光」を「音」に置き換えればミュージシャンも同じことが言える。

そんな技術の習得だったり研究をする場所が「屋上」になるかな。

――技術の習得や研究に行きついた経緯が、屋上の音楽を深く知るポイントのように感じています。なぜ、技術の習得や研究のために場所を作ったのでしょう。

どんな環境でも、自分が納得する最高の音を出せるようになるためだよ。ミュージシャンのプロダクトの基礎はそこにあると思ってる。

少し話が逸れるけど、初めてライブをやるハコ(ライブ会場)って勝手が分からないし、思ってたより環境が悪いってことあるやん?

――備え付けの機材が壊れていたり、PAがいなかったり。(笑)

そうそう。(笑)

PAがいても、お互いの経験の違いで、うまくコミュニケーションが取れないときだってある。とはいえ、どういう状況でも選択をしていかなければならない。ハコによっては、PAは要らん、って判断することもある。アコギだけでジャラーンとやったほうが音がイイってこともいくらでもある。

――経験値がないと判断ができない。

そう。マイクを使わんほうが良かったりもする。

環境が悪ければその環境を生かすことを考えるし、自分に合っていれば、より良くするために何をすべきかを判断していく。

そういった現場の経験を重ねていけば、ある程度の音は作れるし、ライブも割とイイ感じに盛り上がる。つまり「場」をこなせるようになる。それはとても大事なこと。

とはいえね、話の要は「こなす」ことではなくて、逆に「スタジオを用意しました」「機材も揃えました」「スタッフもいます」といった整った環境があって、「あとは集中してショウをするだけです」ってなったときに、対応ができるかってこと。

――雑多な環境でこなせても整った環境を使いこなせない、技術的な「壁」があるということでしょうか。

そうね。それが、さっき話した「どんな環境でも自分が納得する最高の音を出す」ことにも繋がる。

環境を使いこなせない「壁」は、良し悪しを含めた様々な環境に対応する「基準」の技術を持っていないから。

その技術を得ようとするには、自分でスタジオを持ち、機材を揃えた中で、想像し得る最高の音を作れるかを常に研究し続ける必要がある。その上で習慣づけて技術を磨いておかないと体得できない。

これを身に付け、応用できるようになって初めて、ミュージシャンとしての個人が成り立つし、「どんな環境でも自分が納得する最高の音を出す」技術を追求できるようになる。

そう思ってる。

――だから、場所(屋上)を作ったのですね。

技術的な話からすれば、その側面は強いと思う。

結局のところ、「場」はこなせても環境を使いこなせない原因は、技術の修練と研究の習慣がないからで、そこに気づいて実行したってこと。

余談だけど、福岡のミュージシャンを見てると特にその習慣がないと思う。

――興味を引かれる話題です。少し横道に逸れますが、そこのところをもう少し詳しく。私も思うところがありまして。

「整った環境」に、本当の意味で対応できる福岡在住のミュージシャンが、どれぐらいいるのかなって思う。彼らは、ちょっと巧くて、福岡はちょっと街の規模があるから、いろんなところでライブができる。だから「やってる」気分になってしまってる。それが、スカン。

――言っちゃいましたね。(笑) 確かに「やっている」気分が活動をルーティンにさせている状況はあるかもしれません。みんな少なからず不安を抱えてると思うのですが。

だからこそ、なんでみんな環境を作らんのか、って思う。

自分にとって最高の音とは何なのかを突き詰めるのは、自宅や誰かに与えられた環境でするものじゃない。ある程度コストをかけるリスクを負った上で作った環境じゃないとできない。コストをかけるってことは稼がんといかんわけで、それは大きなエネルギーになる。

あと、「屋上」には(ライブの)お客さんも来るし、友達も来る。自宅とは違って、変な話、当たり前のことを当たり前にやらなきゃいけない。人が来るから最低限の掃除もするわけだけど、そういった人の流れのようなものって大事で、常に人が集まるよう風通しを良くしておくことで、自分だけじゃない他人同士の交流点もできる。そういったサイクルは文化を生み出すし、それも自分のエネルギーになる。

自分を動かす環境を作ることがとにかく大事。

――そう聞くと、技術の習得や研究を含めて、シンジさんの「これまで」のエネルギーと「これから」のストイックさが交わる表現の場が「屋上の音楽」のように思うのですが、いかがでしょう。

うん、そうだと思っている。

もちろん表現をする場所はどこにでもあるし、おそらく誰にでもあると思ってるけど、単純に言い訳ができない場所が欲しかった。もっとPAが良かったら、楽器が良かったら、もっと環境が良かったら、っていう、言い訳のないところで音楽をやりたかった。

そういったスタンスで「屋上」を続けていって、俺がホールのような大きいハコやドームでやったとしても、もしかしたら「屋上のほうがいい」って言われるかもしれない。(笑)

その意味では、この「屋上」は最高の自己表現の場になるな。

――お客さんにとっても最高の贅沢ですよね。この距離ですから。(下画像)

うん。絶対、贅沢だよ。

※ライブ風景。およそ12畳間に敷き詰められた楽器の周りを囲むように観客が座り、上画像の距離感でライブを楽しむことができる。練習やリハーサルも同じ場所、同じセッティングで行われるため、ミュージシャンの表現や技量、アイデアがそのままライブに反映される。

 


Q. 「屋上」では何が生み出されているのでしょう。

A. 一緒にやる仲間への単純な意識付け。「うまくなりたい」それがシーンの底上げになる。

 

――「屋上」は様々なミュージシャンとの共演の場にもなってますが、ここから生み出されている文化のような「コト」が気になります。

人が集まるから勝手に何かが生まれているかもしれないけど、俺自身が生み出しているっていう意識はなくって、俺は単純に、ここに出るミュージシャンに対して、「うまくなりたい」って意識付けがしたい。

少し話が逸れるけど、デザイナーにしても、カメラマンにしても、ミュージシャンは……演者というかバックミュージシャンだね、なんにしても福岡はオペレーター気質が多い。

――作業者、というか受動的のような意味での「オペレーター」?

そうね。俺は音楽を作ったり服を作ったりするけど、創作をする限りどんな仕事でも、受け身なオペレーションを無くしていったほうがいいと思ってる。「どんなのが良いですか」って尋かれるけど、それを知りたくて一緒にやっているわけだから、提案が欲しい。

そうじゃないと一緒にやっている意味がない。

――私も制作の現場で同じように思うことが多々あります。「どうしたらいいか」ではなく「こうしたいと思うのですが、どうでしょう」の提案が、クリエイティビティの基礎であると考えています。オペレーションから抜け出す、そういった感覚を持ってもらうためには何が重要になるのでしょう。

練習だよ。訓練しかない。
音楽でも洋服でもなんでも、自分が好きなものをコピーなりカヴァーなりをすることから始めて、複雑だったり見たこともない加工がされているところで立ち止まって、繰り返し想像し、実験し、実行する。つまり練習をする。そうすることで構造が見えてくる。
結局のところ、誰かに何かを提案するセンスは、繰り返しコピーして、外を受け入れて、自分と向き合って、あるときにふっと出てくる。そういうものでしかない。

――ブレイクスルーを経験する必要がある。

そう。ブレイクスルーは訓練によってしか起きんね。

――なるほど。屋上の音楽で共演するミュージシャンたちにブレイクスルーを経験してもらって、より良い「提案」をしてもらいたい。

この場合「提案」というより「アイデア」やね。だから分かりやすく「練習しようぜ!」「もっと巧くなろう!」って言い続けてる。(笑)
技術的に上がれば新しいアイデアも浮かぶ。技術が上がらないから「次」に困る。

――そう聞いていると、シンジさんもそのブレイクスル―の瞬間に立ち会って、新しい感覚を得たいのではないでしょうか。屋上の音楽はそういった相乗効果を得られる場所でもある?

みんなに感じてほしいし、俺も感覚を受け取りたい。俺が持っているモノを共有したい。

話を元に戻すけど、ここで生み出されているものがあるとすれば、そのブレイクスルーや技術の共有の過程で育まれる音楽で、それをショウとして見せられるのが屋上の音楽になる。

 

次ページ
体感する」ライブの可能性。

1 2 3