株式会社うるとらはまいデザイン事務所 代表取締役

浜井 弘治

1964年 山口県下関市出身

1985年、文化服装学院アパレルデザイン科卒業後、東京八王子にあるテキスタイルメーカー「みやしん株式会社」に入社。1987年、第61回装苑賞を受賞。株式会社三宅一生デザイン事務所に服飾デザイナーとして入社。1991年、インターナショナル・テキスタイルデザインコンテスト「ファッション振興財団賞」受賞を期に独立し、有限会社浜井ファクトリーを設立。

Exhibitionにてファッションのメカニズムをテーマとしたインスタレーションを発表。残糸デニム、バクテリアシャツ、和紙デニム、オーガニックコットンバッグなどの「ローテク+ハイテク+大量生産の中の一点もの」をコンセプトにしたアパレル製品を展開する。

2006年よりデニム、ワークウェアをアイテムに重点に置くために活動の拠点を東京からデニム産地である山口県下関市に移し「うるとらはまいデザイン事務所」を設立。2007年「匠山泊」ブランドにてサードコレクション・デニムを発表。

その他、2007年 ONG KENGSEN 演出「120」(シンガポール/国立博物館)、2008年「BREAD&BUTTER」展示会(バルセロナ)、2014年 NTT 東レ「hitoe」企業CM 衣装担当、2016年「浜井弘治、和紙をプロダクトする。」展示会(山口県立美術館)など、数多くの企画、制作に携わっている。

https://ultrahamai.com
http://hamaikoji.jp/profile

 

Feel the roots, "Introduction".

昨今のモノづくりは、目に見える部分だけでなく、その背景を含めたストーリーを求められることが多くなった。

ファッションにおいても隆盛を誇ったブランド名より、実用性を求められる時代だ。何が、どのようにつくられ、今私たちの手元にあるのかを知りたくなるのは必然の流れのように思う。

浜井さんはそういった「手元に届くまでのストーリー」を進んで歩いてきた作り手の一人だ。

パリコレに代表される華やかな先進の世界から、そのルーツとなる「つくる過程」の世界を選び、都会から地方へ拠点を移した。

彼がなぜ、その行動を起こし、プロダクトを続けているのかを伺った。

Karnel 編集部

 

Interview

いま下関にいて、見据えていることについて

時代が変わるということ

ファッションって東京に住んでいたら、地方よりはるかにトレンドなどの情報が入ってきますし、便利ではありますよね。

それをあえてシャットアウトしてみて、それでもファッションを作っていけないのかなと考えています。

地方にいて、世界に向けて情報発信できる方法を模索しているところです。

それがいま下関にいる理由の一つにもなっています。

まあ、四苦八苦してますけども(笑)。

とはいえ追い風がありまして、確か3~4年ほど前だったと思うのですが、アパレル業界をはじめファッション業界が「匠だ、職人だ、地方だ」と声を上げ始めました。

ちょうどファストファッションが隆盛を極めた頃で、その影響でファッション業界の考え方や流れが変わったのかもしれません。

「ネット検索で見つけました。」と電話がかかってきて、大手のアパレルメーカーから「一緒に何かやりましょう」といった話が来たりして、明らかな時代の変化を感じました。

その中で驚いたのが「東京スタイル」という、大手からの仕事の依頼がありました。

それから「HOLLYWOOD RANCH MARKET」の ODM(委託者のブランドで製品を企画・生産すること)の受託も開始しましたね。

そういった時代の流れが今の仕事に繋がって、地方からでも発信していける足場が作られてきています。

 

地方の難しさに見出した、実りある収穫とやりがい

ただ、やはり地方の難しさはありまして、ある程度地元の方々の意見を尊重しなければいけないところです。

これは様々な繊維産地の社長が抱えている悩みと全く同じなんです。

東京ですと会議で言いたいことだけを伝えたとしてもノーサイドで済む場合ありますが、地方ではそうはいかない。「連体感」を尊重する社会があります。

ただ、それを踏まえたうえで、地方でしかやれないこともありまして、それが先ほど話した「情報」なんです。

地方はメディアが極めて遠く、必然的にトレンドの情報が遠い。

これは東京の情報をシャットダウンするにはちょうどよく、良い方向に作用してくれました。

都市部の情報を切り捨てたほうが、また違うものが生まれていくと思っていた矢先、仕事をお願いできるプリーツ工場が見つかったりしました。

これまでの情報を追っていたらまず見つからなかったでしょう。

トレンドの情報が遠い分、モノづくり、言ってみれば「つくる過程」の情報は極めて近くなりました。

そういった、これまで「つくる過程」としていた情報を身近に得られるようになったとき、やりたいことも見えてきました。

日本の繊維産地のすべての悩みとも言えますが、工場はファッションのトレンドで繁忙期と閑散期が左右されます。

私が関わっている工場も違わずで、そんな悩みを聞いているうちに、情報発信を逆転させて工場から行うようにして稼働を安定させる方法が取れないか、との考えが出てきました。

工場だって、できることならエンドユーザーに向かってモノづくりをしたいんです。

そして、面白いことに現存する日本の工場はそこにしかないノウハウを持っていることが多く、ここに着目しました。

工場単体で情報発信が難しいのなら、私と一緒にやってみたらいいんじゃないか、そこから生まれてくる服の可能性だってあるんじゃないか、そう思えてきまして。

いま、それを実行している最中です。

 


現在のプロダクトについて

思いつくところで、現在進行形なのが、和紙、プリーツ加工、残糸、ですね。

この3つは関連しながら進んでいる内容です。

核となっているのは日本人の知恵と技術で、日本人独自の視点や文化を取り入れて、素材の開発や制作しています。

 

和紙に見える「未来」

和紙っていうと「古い」みたいなイメージがあると思うんですけど、私としては「未来」なんですよ。

ル・コルビジェ(*1)は「21世紀の素材は軽くて薄くて機能的」と言ったそうですが、まさしく和紙は軽くて機能的なんですよね。

和紙は江戸時代、雨よけのための外套の素材として使われていたようでして、今で言うレインコートですが、紙がそんなに耐久性のあるものだと思っていませんでした。

それから、和紙を糸にすると綿の10倍の吸水性があるんですよ。これは驚くべき数字なんです。加えて重量は綿の1/3しかない。こういった数値を見ると「未来」を感じるんですよね。

不思議なもので民族が持つ知恵を追いかけていくと、少なからず未来を感じることがあります。歴史ってそういうところがありますよね。

ちなみに和紙を使った糸は、広島県の「備後撚糸(びんごねんし)(*2)」さんと一緒になって開発を進めています。

 

プリーツ工場とのブランドづくり

「オザキプリーツ(*3)」というプリーツ工場なんですけど、何が凄いかってコットン100%にプリーツ加工ができるんですよ。

それから「型」をすべて作ることができる。

私が知る限りプリーツ工場ってなかなかそういうことはできないんです。

プリーツってポリエステル100%、せめて半分は入ってないと、アイロンなどで開いてしまうんですよね。パーマネントプリーツ(形状記憶)ができない。

でもオザキプリーツさんは天然素材でもプリーツ加工ができてしまうんです。

社長が町の発明家のような人で、とにかく面白い。今は一緒になってブランドを作っています。

 

残糸が持つエコロジーサイクルとそこからの着想

「残糸(ざんし)」は工場の残った糸を回収して、それでモノづくりをするというものです。

今現在は残糸ソックスや残糸ニットジャケット、残糸ニットプルオーバーなどを制作していて、ほとんどのアイテムを靴下産地である兵庫県加西市や山口県内のニット工場と作っています。

残糸については昔から注目していて、ちょうど三宅デザイン事務所(*4)を辞めたぐらいのタイミングで誘われた「八王子ファッション協議会」いう、生産地組合で知りました。

その組合は繊維に関わる様々な立場の人たちが集まるのですが、その中で、デザイナーが集まって産地を見て回る機会があったんですよ。いろいろな技術を見て回ろうっていう趣旨だったと思います。

その時の運転手の方が「うちは軍手工場をやっていまして」と言いだして、せっかくだからと休憩がてら、その方の工場に行きました。

そこで見たのが「工業用軍手」でした。先入観から軍手は白だと思っていたのですが、実際は随分とカラフルで様々な色があったのを覚えています。

油仕事専用ですぐに汚れるから何色でもよく、「残糸」を集めて安く軍手を作っている、そうと聞いたとき「面白いな」と思いました。

その方はどうやったら安く作れるか、という工夫をたくさん知っていましたね。

例えば、質の良いコットンの原綿を紡績の機械にかけたときに落ちる綿があって、「落ち綿」というそうですが、それを業者が買い取って、それでさらに糸を作るというサイクルがあるそうなんです。それが「特殊紡績糸」で、そこから軍手を作るととにかく安く上がる。

その糸をさらにアクリルを使って繋いでいくと、また全く別の糸ができるのですが、これは今で言うところのリサイクルですよね。

私にとってはファッションという一つの繊維産地とは違う視点の、新たな繊維産地の発見でした。

そこから「人が捨てるものを再利用してファッションとして蘇らせたら、社会的意味があるんじゃないか」と思うようになりました。

そうやってファッションを作っていったほうが、価値があると考えたんです。すべてはこの辺りから始まりましたね。

言われて久しい産業の空洞化(*5)の問題の解決は、こういった先人の知恵を使ったリサイクルやエコロジーに鍵があるようにも思っています。

 

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「つくる過程」に見た未来と三宅デザイン事務所からの独立


※注釈解説

(*1) ル・コルビジェ 20世紀のフランスで活躍した建築家。近代建築の三大巨匠の一人。

(*2) 備後撚糸 広島県福山市にある撚糸加工業者。

(*3) オザキプリーツ 福岡市中央区にあるプリーツ加工業者。

(*4) 三宅デザイン事務所 三宅一生デザイン事務所。三宅一生が率いるデザインスタジオ。

(*5) 産業の空洞化 国内企業の生産拠点が海外に移転することにより、当該国内産業が衰退していく現象。

 

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