株式会社うるとらはまいデザイン事務所 代表取締役

浜井 弘治

1964年 山口県下関市出身

「つくる過程」を重視する今のスタイルに至った経緯とは

「つくる過程」に見た未来と三宅デザイン事務所からの独立

ファッションはイメージ戦略重視であって、「つくる過程」を表に出すことはありませんでした。

ファッションが成立する過程で、工場、つまり「つくる過程」が担う大切な部分はたくさんあります。

私が三宅デザイン事務所から独立した後のモノづくりは、視点をそこに合わせることから始めましたね。

そもそも、私が最初に就職した先が機屋だったので、そこから見ていた視点が常にありました。

だから素材から服が作られファッションとして成立したときに「いったいどんな人が素材を開発して、型紙を起こして、服を縫っているんだ」って、根本的な見方をしてしまうんです。

デザインは総合芸術のような側面がありますから。

とはいえ、三宅デザイン事務所は面白かったですよ。パリコレにスタッフとして渡って、実際に目にして、凄く感動しました。

しかし、パリコレって凄く造形的な服を作りますよね。

それはとても素晴らしいし凄いことなのですが、当時の私は「それだけがすべての視点ではない」と思ったんです。

例えば、1枚のTシャツがあるとして、普通のTシャツかもしれないけど、素材がオーガニックコットンだったとしたらグッとくるものがある。

私はそういうものこそ大切なんじゃないか、と思ったわけです。パリコレの価値とは全く違う視点ですよね。欧米で最高峰と言われること以外の最高峰がこの視点にある、そういう話です。

それが今のつくる過程を重視するスタイルの始まりとなりました。

 


最初の就職先から現在までのぶれない視点の理由

とある先生の先見に導かれて

少し学生の頃の話をしましょう。

学生時代からファッションが好きで、そのまま作ることにも目覚めました。当時はモードが最高峰だと思っていたので、漠然と「コムデギャルソン」か「イッセイミヤケ」に入ってデザイナーになりたいと考えていました。

そんな思いで文化服装学院(*6)に入ってデザイナーになるべく勉強したわけですけども、いろいろと考えが変わりまして、結局、その二つは受けずじまいでした。

当時の感性の赴くまま、違う会社を受けたのですが、そこは見事に落ちましてね。

結果を知ってうーんと頭を唸らせているときに、ハッと閃くように思い出したことがあったんです。

それは学院の授業の一幕で、ある先生が口にしていた「生地を作る工場に3年、アパレルに3年、流通に3年いたらきっと面白いデザイナーが生まれる」という話でした。

そのあとに様々なファッション業界の本を読んで「そういうことをやっている人はいない」と確信して、「それくらい極端なことをやったら面白いんじゃないか」「ファッションの世界で生きるんだったら、他にない技術を持つべきだ」と思うようになりました。

そこからたどり着いたのが、生地を織る工場に行くこと。

とはいえ、工場はちょっと極端かなと思ったんです。当時、工場は田舎にしかなく、都会に憧れていた私としては正直どうしようかなと。

せめて生地屋に入って、テキスタイルデザイナーの道もあったりするじゃないですか。

そこで、さっきの話をしてくれた先生に直接相談したら「どうせ行くんだったら工場に行ったほうがいい」と言われたんです。「本当に生地のことを知りたかったら絶対に工場行くべきだ」とも。

そこまで言われると引くに引けず、半分騙されたと思って、腹を括りましたね(笑)。

 

ルーツとなる機屋「みやしん株式会社」

私が入社したのは「みやしん(*7)」という機屋の工場でした。

みやしんを知ったきっかけは当時たまたま見た雑誌の記事だったのですが、イッセイミヤケやヨウジヤマモトの生地を作っていると書いてあって、こんな工場があるんだってびっくりしました。

当時、そういった「企画」の機能を持つ工場は珍しかったんですよ。

みやしんは男物の着物の生地を作っていたんですけど、洋服以上に売れないわけですよ。時代の流れもありますし、心機一転、洋服の生地を開発することに決めて、デザイナーに売り込んでいったらしいんです。

センスが良かったのでしょう、洋服のデザイナーともフィーリングが合って、どんどん採用されていったそうです。

言うは簡単ですが、何が凄いかって、地方のイチ工場が三宅一生さんを通じて世界に情報発信できたということです。

これは極めて特異な例です。当時もそう思ってて、なぜそうもうまく繋がったのかと個人的に調べたら、日本の繊維産地は世界の中でもハイレベルなノウハウを持っていることがわかったんです。

技術的なことだけ言えば、世界に発信できるポテンシャルがあったということです。

こんな風に世界と通じる力があるにもかかわらず、残念なことに日本の繊維産地はファッション業界の中でそれほど力を持ってないんです。これは現在もあまり変わりがない。

ところが欧米は状況が違っていて、イタリアなんかは、実は機屋が力を持っているんですよ。

欧米は職人を大切にする文化がありますからね、作るところが力を持つ。

だからブランドがあったとしたら、必ず工場の背景があるんですよ。エルメスにしてもそうですし。オーダーの靴屋にしても必ず工場の背景が見えるわけです。

私がみやしんで培った視点はこの工場に見える「つくる過程」の景色なんですよ。

そう考えてみたら、私は最初に入った会社にいまだ憧れがあることになりますね。

 

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下関にてトラのように売る古豪


※注釈解説

(*6) 文化服装学院 著名なデザイナーやアーティストを輩出している服飾学校。

(*7) みやしん株式会社  東京都八王子市の織物メーカー。2012年より、文化ファッション大学院大学・ファッションテキスタイル研究所となる。

 

 

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