BBDO J WEST メディア局長

小柳 俊郎

1969年 福岡県・大牟田市出身

1992年、同志社大学卒業後、熊本県にあるアミューズメントパークの運営会社にてイベント・宣伝・PR等の企画運営に携わる。2003年、外資系広告会社BBDO J WESTに入社。大手企業のメディア施策、商業施設の開業や映画のプロモーション、テレビ番組等、多数手がける。2011年、ビジネスマン向けフリーペーパー『BOND』を創刊。ほか、福岡県「アジアンビート」主催のトークイベント『ヂカギキ』のオーガナイザーなども務める。
http://www.bbdojw.co.jp/
http://bond-mag.jp/


BBDO J WESTという外資系広告会社に所属しながら、メディアプロモーションの専門家、福岡発のフリーペーパー『BOND』の編集長など、福岡市を活動の拠点に多方面で活躍する、小柳俊郎さん。その仕事柄、各種インタビューや自身のメディアでは、“福岡市”についてのコメントをすることが多いが、地元への想いも熱い。「こんなに、ゆっくりと街を歩くのは学生以来ですよ」と、出身地である福岡県大牟田市を訪ね、新栄町駅周辺や世界文化遺産に指定された三池炭鉱 宮原坑を歩きながら撮影を行い、地域メディア『BOND』の創刊から今まで、ローカルの仕事をとおして感じたこと、地元・大牟田についての話をしてもらいました。

 

まずは、BBDO J WESTのメディア局長としての、
仕事内容などを聞かせてください

総合広告会社でメディア全般をみていまして、多種多様なクライアントさんを担当している弊社の営業スタッフが、どんなメディアプランを立て、どんな展開をしていけばいいかという戦略を立てる部署の責任者をしています。
しっかりと戦略を立てないと、大手の広告代理店と値引き合戦とかしてても仕方ないですよ。そういう戦いばかりしててもつまんないし、幸せになれませんからね。

メディアも多様化してきていまして、いわゆる4マス(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)はもちろん、最近はSNSの広告などインターネット関連が主流ですので、その分野のスキルや知識が必要ですから、そういう人材を育てていくといったところにもきています。

そして、“自分たちでメディアを持ってみるのは、どうなんだろう?”という大いなる実験でもあるのですが、フリーペーパー『BOND』の発行をしています。『BOND』を含めメディアまわり全般を担当していると、ブランディングやプロデュースなどの話にもつながっていくんです。
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『BOND』を発行したきっかけを教えてください

2011年、商業施設のオープンを機にフリーペーパーを作ることとなり、スポンサーとして入ってもらうかたちで1,2号を制作したのが始まりです。せっかく作ったので、このまま終わらせたくないなと思い、3号目からは自分たちでお金を集めて作ることにしました。

ちょうど、『BOND』の企画書を作成していた時に東日本大震災が起きたんです。当初は、ラグジュアリーなメンズファッション誌のフリーペーパー版みたいな感じで構想していたのですが、いま振り返ってみると“チャラい”ともとれる内容でした。震災が起きて世の中が変わり、“モノを買って嬉しいばっかり”の内容にしていても仕方ないなと感じ、働き方や生き方についても考えが変わってくるだろうなと思い、“とんがった人”を毎号一人フィーチャーし、オピニオン(意見)を提示するようなスタイルへとなっていきました。

 

編集長として携わり創刊から5年経ちますが、
その過程で気づいたことなどがあれば聞かせてください

“絞れば絞るほど”支持されていくようになったと感じています。最初は、商業施設の関係もあったので誌面の内容も幅広く、ビジネスマン・ウーマンに向けていたんですけど、自分たちで制作費を捻出し作り始めた3号目の表紙やインタビューで北方謙三さんをブッキングできた時、“コレ好きにやっていいんだ”と思い、“前のめりで頑張ってるビジネスリーダー”に向けた感じに切り替えていったのが、読む人にとって分かりやすかったのかなと思うんですよね。

男性の視点だからといって、価値観や世の中の動きの話が間違っているわけではないですからね。無料でラックや店頭などに置いているので取りやすさなどもあるかもしれませんが、35%くらいは女性の方にも読んで頂いていますし。現在、発行部数は5万部で、配布エリアは福岡市内だけ。そういった意味ではエリアも絞られていますね。

コンセプトや配布エリアもですが、中面のテーマや情報の出し方なども絞っています。みんなが“いいよね!”みたいなことばかりを掲載するよりも、テーマを絞って思ったことをちゃんと書いた方が、反響があるんです。何号か前に、“福岡市は元気がいいですよねとか言われると、俺はモヤモヤします”って書いたのですが、スゴイ反響があったので、オピニオンをぶつけるのって面白いなと思いました。
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BOND FUKUOKA No15(左)、No16(右)

 

最近、表紙のデザインがシンプルになったのには
何かワケがあるのでしょうか?

12号までは表紙に、カバーモデルの方の名前や特集タイトルなどが載っていたんです。13号を制作している時に、BOND編集チームのデザイナーが「表紙の文字情報、いりますかね?」と言ってきたんですよ。最初は戸惑いました。今までは表紙モデルの方を知らない人もいるだろうと思い名前などを記載していたんですけど、BONDの表紙になる人は、刺激的な人なんだ!っていうことを、なおさら感じてもらうためにも、デザインの変更をしました。そして、15号(表紙:横山健さん)の時から、発行号数やエリア名も取り、媒体名の『BOND』という文字と写真だけの表紙になりました。読む人にとっては号数など関係ないですし、“雑誌には号数や特集名を書かないといけない”というのは勝手な既成概念だったんだなって感じています。次は媒体名の『BOND』をいつ取るかですね(笑)。そんな冗談も編集部で出ています。そういったところでも削いで、絞っていっています。

 

先ほど “福岡市のいま”についての記事の話がありましたが、
県内の地域(例えば出身の筑後エリアなど)は、
どのように捉えられていますか?

会社としては、八女の玉露や宗像市のブランディングなど福岡県内で仕事をさせてもらっています。そこで感じるのは、“模索しているなぁ”ということ。行政的というか取り組み的な側面の話においてですが。八女には『お茶』といった、素晴らしいものが街にあるのですが、プレイヤーが足りてないんです。だから、もったいないとも感じます。

なぜ八女でブランディングのお手伝いを始めたかというと、『八女伝統本玉露』って13年連続日本一をとっているわけですよ。知っていました?? ことしもチャンピオンになっているんです。みなさん、“お茶は宇治” “玉露は宇治以上にない”と思われているようですが、ここ13年は福岡の八女の玉露が日本一なんですよ。日本一ということは世界一なんですよね。玉露で勝つというのは、無差別級で優勝するようなイメージです(笑)。そんなスゴイお茶が福岡県の南部で生産されている事実があるのに、地元の方は生産することに力を注ぎ、1位を獲ることに集中していらっしゃるので、13年間優勝してきても、皆が知るようなニュースになってないんですよ!

“八女のお茶に関する興味をどう作るか?”というところから考えて、時代が欲しがるようなニュースを作る。マスメディアだけではなく、PRタイムスとか、Webメディアなどチャンスは山のようにあります! 世界中にガストロノミーメディアもありますから英訳して発信するだけで、どこで目をつけてもらえるか分かりませんからね。いいものがあるのに、うまく発信されていない。そこを担当するプレイヤーがいないんですよ。生産の方では若手が出てきて面白い動きになってきているけれども、発信まではできていないという現状があります。だから、ブランディングの手伝いを始めたんです。実際、八女に限らず地元にあるモノを生かすには、どうしたらいいかという相談はよくありますね。
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出身地・大牟田市のいいものや
思い出などを聞かせてください

地元の大牟田は炭鉱で栄えた街で、昨年三池炭鉱にゆかりのある場所などが世界遺産に登録されていますが、地元のいいものとは何か、何があるのか、ないのかをよく考えます。

1969年生まれなんですけど、中学生の頃はテレビで『金八先生』とかツッパリものが流行っていたので、気合入ってる奴は、 “中学生”で暴走族に入っているような時代でした…(笑)。あと、今のお洒落な“立ち飲みバー”とかではない、ゴリゴリのハードコアな酒場がいっぱいあったんですよ。平日の爽やかな朝に歩いていると、酒屋で酔っぱらった人たちが喧嘩していて、その上をいく店主が「やめんかー!コラ~」って怒鳴り缶とか投げるんですよ、それが足元に転がってきて、僕は「おはようございます!」って挨拶するみたいな…(笑)。そんな街で、高校を卒業する18歳まで生きてきましたね(笑)。その後、進学で京都へ行く際に「京都の街は排他的で大変やぞ」なんか言われていたんですけど、天国でしたね!

祖父、父は、炭鉱の人事の仕事をしていました。高校生の頃、親父が雪の降る夜に出ていって3日くらい戻って来ないことがあったんです。さすがに心配になってきたころ、テレビで炭塵爆発のニュースがあっているじゃないですか。80何人も亡くっている大事故なんですよ。それで、親父が遺族から非難されてるのをテレビで目の当たりにしたりして… 地元の思い出を振り返ると話がヘヴィですね…(笑)。

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まだ、子供の頃は炭鉱が続いていたので、堅坑なんかを見て“すっげー”なと思っていました。あれが街の財産だったんでしょうね。過去の栄光が大き過ぎたのかもしれません。

いま地元に帰ると、大型ショッピングセンターができ街の変化を感じます。僕の大好きだった商店街も廃れてしまいましたもんね。中高生の頃、商店街のオシャレなお兄さん達に“ジーンズの格好良さ”などを教えてもらい、僕らを育ててくれていたんですけど、そういうコミュニケーションもなくなっていくのは寂しいですね。

それから、街が高齢化していまして、この先どう進んでいくんだろうと思います。八女や大川には、モノ作りがあるんですけど大牟田には、特筆すべきものがないように感じます。何かしらあるのかもですが、インパクトのあるもの見つけることができていません。何か伝えるものがあれば、自分が培ってきたもので手伝うことができるのですが。だから、大牟田には何があるんだろうと思うんですよ。大牟田という字を見ると落ち着くじゃないですかぁ(笑)。そのくらい地元への想いはあるんです。
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最後に、小柳さんが考える地方創生とは?

これからの大牟田のこと考えていく中で気づいたのですが、“絞りこみ”と“組み合わせ”だと思うんです。“八女茶”全体をPRしてほしいとの依頼に、国内では日本茶生産量の約2%しかないので、だったら質で勝負だと。だから、その中で1位を獲得している『玉露』だけに“絞り込み”、高いレベルで発信する。それだけをピカピカにどこまでも磨き上げれば、その生産地のお茶は全部いいってなると思うんです。ドンペリニヨンがあるシャンパーニュ地方のものは全ていいというイメージがあるじゃないですか。いま、多くの日本人シェフがフランスなど海外で活躍されているので、そういう方々と玉露を“組み合わせ”て世界へ発信していきたいですね。魅力的でニーズの高い絞りこめるものがあるのとないのとでは、地方創生にも差が出てくるのではないかと思います。
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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)