Smart Design Association Co.,Ltd 代表取締役, 福岡移住計画主催

須賀大介

1976年 茨城県・水戸市出身

今だから言える、福岡移住後の辛かったことなどはありますか。

難題だらけの福岡移住と福岡メンバーとの出会い

当初は代表の自分一人だけで福岡に移住して来たのですが、地縁が全くないまま福岡に来たので、仕事の作り方やスタイルが全く分からず大変でした。人脈も全くなかったですし。

社長の自分がこっちに来てしまったので、東京の売上も急降下してしまいました。

移住ですので当然家族は一緒に福岡に来たのですが、妻も福岡のコミュニティになかなか入れかったようで苦労させましたね。

勢いで移住したけど「本当にやっていけるのか?」と毎晩天井を見ながら不安に襲われて眠れない日々が続きました。

そんな心情とウラハラにSNSなどで僕の福岡での暮らしや綺麗な海の写真を見た東京の社員は「、、、」だったようで、「社長は福岡で何をやっているんだと」といった声が上がっていたようでした。(汗)

東京のスタッフとの熱量といいますか、温度感のズレは常にありましたし、その先のビジョンを共有するまでに時間がかかりました。僕としては福岡に根付いた暮らしや働き方を作り発信していきたかったのですが、本当にゼロからのスタートだったのでなかなかうまくいかなかった。一方ではこれまでのビジネスが動いているし社員もいるわけで、そのバランスをとるのに時間がかかりました。実際、かなりの犠牲やダメージを受けましたね。

その当時は東京からの移住者もそんなに多くなかったですし、移住自体が珍しい時代だったので、手探りばかりでした。東京の社員も数名ほど福岡へ来てくれましたが、馴染まなかったようで結局戻ってしまいました。やはり移住というのは価値観に根付くものであって、気持ちだけでは難しいのだなと感じた瞬間でした。

ちなみに現在、福岡で働いている社員は「福岡移住計画」始めた後に入社したスタッフで、全員福岡で採用しました。移住計画の活動に共感し連絡してきてくれました。仲間が増えたことで心機一転でき、そのメンバーと共に福岡でのスマートデザインアソシエーションを再始動しました。

そこから本当に様々な経歴の仲間が入社してきてくれました。

現在は東京2名、福岡9名のちょうどサッカーチーム11人と同じ人数でやっています。

 


福岡にてどのような出会いが須賀さんを支えたのでしょうか?

福岡移住計画、誕生!

福岡の方々は本当に温かく、のびのびと暮らしていて人間味を感じました。

飲み会を通じて感じたことですが、東京と比べて「人間らしい付き合いしかない」といいますか、福岡を良くしようと考える方々や、コミュニティを繋げてくれる方々がたくさんいます。

「福岡移住計画」も飲みの席で「そういうことをやりたい!」と盛り上がったことがきっかけでした。

福岡R不動産のメンバーと始まり、ムラジュンさん(特定非営利活動法人 AIP 事務局長・村上純志)がLINEさん(LINE株式会社)と繋げてくれて、窓口の担当者の方に福岡移住計画の話をしたら、今度は福岡市の担当者をご紹介いただきました。

移住して間もない僕の話に「その企画に乗ってみたい」と言ってくださって、正直、とてもありがたかったです。本当に驚きました。

それから行政連携の移住計画の第一回イベントを東京のマイナビ(毎日新聞社)の本社にて開催することができました。開催告知前は「話題性もあるし50人ぐらい集まればいいね」と仲間内で話していたのですが、いざ告知してみること実際は300人ほどの応募ありました。手前味噌な話で恐縮ですが、何にしても、福岡に帰りたい若いクリエイターがこんなにいるんだと実感した瞬間でした。

好スタートを切った福岡移住計画でしたが、福岡出身でもない自分が「福岡移住」の看板を掲げるジレンマがありました。ですが計画を進めるうちに、移住計画が受け入れられていく様子を見ていくなかで、ソトモノ(県外出身者)だからわかる福岡の新しい視点が受け入れられた理由と気づきました。そこかから土地に根付いた素晴らしい文化を「移住推進」という形で伝えていきたいと、強く思うようになりました。

福岡移住計画をスタートしてから4年近くなりますが、本当にそう思うことができ、また続けてこられたのは、福岡の皆さまの支えや見守りがあったからだと感じています。

 

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家族や子供たちの未来について。

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