『振付稼業air:man』主宰

杉谷 一隆

1972年 福岡県出身(京都生まれ)

地元・福岡や九州での仕事について

最近、地元での仕事は増やすようにしています。単純に地元だというのもあるのですが、振付という仕事を広めるためにも、ビジネス的にも、福岡・九州というのは大事な場所だなと思っています。若い時に離れて京都や東京など色々なところに住んでみて、やっぱり福岡はいいなという感じです。よく聞く、単身赴任で福岡に来た人が戻れなくなるというような感覚ですかね。人もいいし、経済が回っていて、仕事も成り立つように思えます。いま、福岡に月2くらい行っているので、実家の近くに部屋を借りましたよ。福岡に支部を作ったと話すと、地元での仕事の話も来るようになりました(笑)。

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最近では、柳川PRダンスムービー『SAGEMON GIRLS』、おんせん県おおいた新フロジェクト『シンフロ』篇などが九州での仕事としてありますが、印象に残っているものなどありますか?

どの現場も印象に残っていますね。共通して言えるのは、福岡のスタッフを特別に褒めるわけでなく東京を否定するわけでもないですが、流れ作業ではなく一つ一つ丁寧で、ある意味ペースは遅いのかもしれないけど、ちゃんとしっかりやっている感じがあります。あと、博多の人の良いとこか悪いとこなのか、最後にみんなで飲んで“オイッ!”と締めて、次に向かうあの感じは自分に合っていると思います。小さいころから親しんできた博多山笠に通ずるものかもしれません。4月頃からソワソワしはじめて7月の追山で締めるという、あのメリハリ感!

 

福岡・博多を代表する祭りの一つ山笠の話が出ましたが、福岡ではどんな子だったんですか?

博多エリアに住んでいたので山笠には参加していましたし、それから剣道をしていました。小学生の頃は西日本大会一位、全国大会三位と、強い方だったんです。小学生なのに、スポーツでも有名な高校から推薦の話が来るほどでした。その時から、MTVやNight Jack FUKUOKAという音楽番組で見たマイケル・ジャクソンの「スリラー」に影響を受け、ダンスにも興味をもっていましたね。剣道の練習をサボって、外にラジカセを持ち出しダンスの練習をすることもありました。

 

今後、地元や全国の地域でしてみたいことありますか?

昔から地方で流れ続けているCMのリニューアルと、その振付です。東京のCMは、次から次へと移り変わっていっていくのですが、地方ですと“アタリCM”は何年も流れ続けますよね、アレです。高校時代の菊口が踊っていたタケモトピアノも、まだ流れていると思います。例えば、「博多ぶらぶら」のCMとか。ある意味、完成されているCMではありますが、踊りをリニューアルしてみたいです。

それができると、おじいちゃんやおばあちゃんが歌って孫が踊るみたいなコミュニケーションが生まれますよね。7,8年前に、静岡では有名なマイホームセンターのCMで、それが実現できた時は嬉しかったです!福岡でも「タカスギ〜、タカスギ〜♪」(もう流れてないですか?)、「チロ〜リア〜ン〜♪」「しんぐぅ〜れいえん〜♪」など、曲を聞くだけで絵まで浮かぶほど、印象の残るのがあるじゃないですか。ワンフレーズだけでもいいので、振りをつけてみたいですね。

先ほどの教科書で、校歌に踊りをつけるという話をしましたが、世代を越えて、その地域ならではのコミュケーションがとれるからなんですよね。つねに、踊りを通して何が生まれるか?を追求していきたいです。

 

すでに様々な形で地元や地方とのつながりを持たれていますが、杉谷さんの思う地元貢献とは、どういうものでしょうか。

まずは身近なところからじゃないでしょうか。自分は振付を仕事としているので、例えば川端商店街に入っている友達のラーメン店のCMを作るとか。そして、少しずつ輪が広がっていって商店街全店のCMができていたら面白いですよね。仕事だけですと点だけのつながりで終わってしまうこともありますが、人とのつながりで生まれた仕事は線になって続いていくように思えます。

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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)

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