有限会社クロスリングウェイ 代表取締役

内村 陽一

1975年 熊本県出身

1996年、熊本YMCA学院 情報処理科卒業。1997年、パチンコメーカー「株式会社平和」に就職のため福岡へ。2000年、パチンコ業界のデザインに携わりたいと思い同業界の弱電工事会社の株式会社アクターに転職し、デザイン部門を起ち上げる。2005年、さらなるスキルやWebサイト制作に着目し、有限会社クロスリングウェイを設立。同年、熊本で兄が経営するデザイン会社アイトゥーブレインの副社長を務め、一般業種のデザインも学ぶ。2010年、ウェブシステムやアプリを開発する株式会社ザイオンの代表となり「Googleストリートビュー(インドアビュー)」事業、女性向けスマホアプリレビューサイト「iPhone女史」運営、熊本のプロバスケットボールチーム「熊本ヴォルターズ」のサポートなども行なう。2015年、クロスリングウェイ10周年を機に、これまでの業務を一本化しリスタート。http://www.xoway.com


さまざまな業種で必要とされる“デザイン”や“制作”。業種のジャンルを飛び越え、机上ではなく現場で実際に自分の手を動かし学んできた経験を紡ぐように、現在の会社「クロスリングウェイ」を経営する内村陽一さん。福岡と地元・熊本にオフィスを構え、ITやデザインの分野に関わる様々なものを手がけている。今回、福岡市・博多駅近くにあるオフィスを訪ね、起業したきっかけや同じ制作という仕事でも業種によっての違いなどを聞かせてもらった。

 

まずは主な事業内容を教えてください

大きくは、ITコンサルティングと広告デザイン全般の制作になります。ホームページをはじめ、iOSやアンドロイド用アプリの制作、グラフィックや映像制作、ロゴデザインなどさまざまですね。元々はデザイン業からスタートしているのですが、クロスリングウェイとしての現在はITコンサルティングがメインでして、そこから派生する、必要となるデザインを制作しているといった感でしょうか。

 

内村さんご自身のお仕事内容について

実際に制作案件も担当していまして、“フル”というか“フルフル”で制作しています。ITコンサルとは言っていますけど、打ち合わせに行き、その場で作るものを決め、直接技術担当の方と技術調整をし、持ち帰って自らも作っています。会社代表として、経営や総務といったこともしていますが、できれば制作だけをしたいタイプなので、経営自体はさせられているような感じです。スタッフには申し訳ないですが経営者としてはダメなタイプですね。ただ、総務、経理、スタッフ育成など、まずは自分でやってみてどれくらい難しいか分かった上で、お願いしようと思うんです。性格だとは思うのですが、デザインやプログラムについてもまず自分でやってみるという考えでしたので、それを今は“経営”というものを実践しながら学んでいると思います、と言いながら11年くらい経ってしまいましたが…まだまだですね。

クロスリングウェイを起業したきっかけは?

専門学校を出た後、パチンコ生活で一年ほどぷらぷらとしていた時期があり、そんな私を見かねた叔父が「そんなにパチンコが好きなら福岡に行って仕事してきなさい」と叱咤激励とともに福岡の企業を紹介してくれました。その会社が「平和」というパチンコメーカーで、ありがたく入社することができました。ただ、理想とは違いパチンコ台の販売部門ではなく、パチンコ玉の補給などを扱う設備部門に配属され、現場の工程会議から施工管理、開店運営テスト、開店立ち会い、そしてメンテナンス作業といった一連の流れを担う事業部に配属されました。

そこで3年ほど、更地からパチンコ店ができ上がっていく過程を目の当たりにし、お客様がどんな広告で集まり、どんなインパクトを感じるのか、そしてiMacが登場した頃だったということもありパソコンを使ってデザインしてみたいなとブツブツと現場で言っていたら、「うちに来てデザインしてみたら」と業界の弱電工事会社の社長に誘ってもらい、その会社に転職しました。

もちろん弱電屋さんなのでデザイン部門もないですし、デザイン制作で扱えるようなパソコンも会社にはなかったので、まずは自費でiMacを購入するところから始めました。自宅でもデザインの勉強がしたかったので、iMacを車のシートベルトにかけ、モバイルのごとく持ち運んでいました。最初はPhotoshopから入りましたが、その後、illustrator、dreamweaver、Flashなどを興味本位で触り、shadeというソフトを使って3Dパースが作れるようになり、パチンコ店のパースを作り始め、そして後に大判のグラフィックシートを商品化し、広島から沖縄までのパチンコ店に、自分で作ったデザインを販売、施工するまでになりました。

当時のパチンコ業界でやっていた壁面に貼る大判のグラフィックデザインは、デザインが決定するまでに20案くらい提案していても、そこには費用が一切発生しないんですね。だから、いくら時間かけて、徹夜して作ろうが、採用されなかったら0なんです。ただ、作ったデザインを気に入ってくれることが多く、自由にさせてもらえていたので楽しかったですし、会社の支えもあり最終的には6人くらいのデザイン事業部へとなりました。

そして3年ほど経った頃。福岡中洲のど真ん中にパチンコの玉屋さんが本店を作るということで明日デザインをもってくるようにと。教えられたのは敷地だけでしたが、外観パースを7案作り、翌日に提案しにいきました。そして、数ヶ月後、外観にLEDが施された建物が完成し、一つの区切りとなったのが29歳の時でした。

30歳を機に何かしら自分でやっていきたいとの思いが芽生え、色んな経験から身につけてきたスキルを生かし、更なる製作スキルの向上とホームページという分野に目を向け、パチンコ業界に特化させた会社をと思いクロスリングウェイを起ち上げたんです。

 

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起業後の活動について

 

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