『江東衣裳』代表   

部坂 尚吾

1985年 山口県出身

山口県宇部市で生まれ、小学校から高校までを広島県東広島市で過ごし、進学のため大阪へ。在学中にオーストラリア留学を経験。卒業後は、アパレルショップの販売員、松竹京都撮影所、テレビ朝日にて番組制作を経て、2011年よりスタイリストとして始動する。2015年に江東衣裳を設立し、現在に至る。 映画、CM、雑誌、俳優・タレント・文化人のスタイリングを主に担い、各種媒体の企画、製作、ディレクション、執筆等も行う。現在、アシスタント募集中。
http://www.koto-clothing.com/


 

九州・山口出身で、様々なシーンで活躍する人たちに迫る“PEOPLE”。今回のゲストは、「江東衣裳」という名義で映画やテレビ、雑誌などでスタイリングをしながら、ファッションコラムの執筆等も行う部坂 尚吾さん。FILA「FILA GOLF 2015」や、Panasonic「Styling Brush Iron EH-HT40」、NTT東日本などのCMから、映画、雑誌、舞台まで数々のスタイリングを手がけている。学生時代にスタイリストを目指すと決めたものの、そこに辿り着くまでの少し変わった経験や、現在の仕事内容、将来の地元像について聞いてみた。

 

現在のお仕事について教えてください。

主に、役者、タレントさんが、映画、テレビ、雑誌、舞台挨拶などで着用する衣服のスタイリングをしています。独立したての頃は、単館系で公開される映画の仕事が多かったのですが、今はだいぶ幅が広がってきました。ビジネス誌の仕事では、スーツに特化した内容を企画・ディレクション・スタイリングして、文章も書いています。ほか、輸入代理店のファッションサイトでも月に1回、アイテム紹介の文章を書くなど、執筆の仕事も増えてきています。

 

スタイリストの肩書として珍しいと思うのですが
「江東衣裳」の由来を聞かせてください。

スタイリストとして活動を始めた頃は東京都杉並区の高円寺が拠点だったのですが、拠点を江東区に移した際に屋号をつけようと思いました。江東区は川に囲まれていて、出身地・山口県宇部市の川と海が近くにあるという環境に似ていて、なんとく落ち着く雰囲気があり気に入ったので、「江東」というエリア名を使うことに。そして、映画が好きで、映画のエンドクレジットで使われている“衣裳”という文字を屋号に使いたいと思い組み合わせました。
“衣裳”は、ほかのスタイリストさんも使っていないのでキャッチーでもあるかなと。

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スタイリストになりたいと思った動機は?

もともと、警察官になりたかったんです。そのため、一浪して法学部のある大阪の大学へと進学しました。留学コースに属していたのでオーストラリアへ短期留学する機会があり、その時に現地で知り合った方々がアーティスト活動をするなど、自由な感じで暮らしていました。それまで、自分は長男だし“カタイ考え”で安定した公務員にと思っていたのですが、自分も好きな事を仕事にしたいと思い、服への興味もあったのでスタイリストになりたいという気持ちが強くなりました。帰国後、大学4年時には大阪の大手アパレルのセレクトショップでアルバイトをはじめ、卒業後も別のセレクトショップのクロージングに販売員として入り、スーツを担当していました。服に接する仕事ではあったのですが、このままではスタイリストになれないと辞めちゃったんです…。

 

その後、スタイリストから遠ざかる仕事に就くことに。

アパレルショップを辞めたものの、どうしたらスタイリストになれるか、サッパリ分からず、何を血迷ったか、松竹の京都撮影所の制作進行に就いたんです。そしたら、時代劇の現場なので自分のイメージするスタイリストはおらず、床山とか着付けの世界(笑)。それが、2008年の22、23歳の頃でした。制作進行の仕事内容は、お弁当の手配、撮影に影響する周辺から聞こえてくる音を止めてもらうお願いをしにいく(そして怒られる)など、“ザ制作”というものでした。ただ、普段は入れない撮影所に入れたので、得るものは大きかったです。撮影の流れなど、肌で感じることができました。

 

そして、次の仕事では無人島へ行く日々が続いたという

京都の撮影所の仕事は3,4か月くらいの1クールで終わり、その時の制作会社の方から「東京で仕事の枠があるけど、すぐ来れるかと」言われ、行ってみたらバラエティ番組のアシスタントディレクターの仕事でした。無人島で生活するといった企画の番組で、もちろんスタイリストはいないですし、東京へ行ったにも関わらず、ほとんど東京にはいませんでした(笑)。1年半くらいADをしましたが京都の撮影所と合わせて、どちらも鍛えられる環境でしたので、精神面は強くなりました。少々のことでは驚かなくなった気がします(笑)。

 

遠回りしながらもスタイリストへの道をあきらめなかった

本当にスタイリストになりたかったので、疑うことも知らずスタイリストになれるという詐欺にあったこともありました。今では笑い話ですが、20代はどん底でしたね(笑)。その後、2010年ごろに著名なスタイリストさんに弟子入りすることができ、そこで勉強させてもらい独立することに。独立といっても、自分でやっていこうと決めただけなので、どうやって仕事を生んでいくのかも分からなかったので大変でした。

最初の1,2年は、単館系の小規模な映画のスタイリングをしていました。予算は少なく手取りもなかったですが、映画には関わる人間が、撮影、照明、録音、製作、役者、衣装部、メイク、プロデューサーなどと多かったので、そこで知り合った方々から徐々に仕事が来るようになり、ギリギリ食べていけるようになってきました。少しずつ実績ができてきたので、それまで行なっていなかった営業を始め、今に至っています。

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ファッションという視点から自分ができることは何か。

実家のある山口に戻った際、自分が地元でできることは何だろうと模索します。岩手県にはニット、福井県にはメガネ、岡山県にはデニムといった、ファッション関連の“モノ”が特産としてあるのですが、山口県には“モノ”がないなと、だったら“スタイル”が 根付いたらいいなと思っています。自分の代だけではできないかもしれませんが、“山口の人ってスーツの着こなしがスタイリッシュ”、“どこか品があってオシャレ”とか言われるようになったら嬉しいですね。そして、“それって何でだろう?”と山口へ探りに行ってみたら、“代々伝わってきたことなので”みたいなことになればと。もちろん、見た目だけではなく、凛とした自分のスタイルを持った人でいっぱいになってほしいですね。仕事としてのスタイリングとは、また違った次元のスタイルを広めていきたいです。

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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)