タレント

田村 淳

1973年 山口県出身

高校を卒業後、芸人を目指し上京。1993年に相方の田村亮と組みロンドンブーツ1号2号として活躍中。現在、テレビ『金曜★ロンドンハーツ』(テレビ朝日)、『田村淳の地上波ではダメ!絶対!』(BSスカパー)、『ロンプク☆淳』(九州朝日放送)ほか、ラジオ『ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB』(文化放送)など多数に出演。2005年、ヴィジュアル系ロックバンド「jealkb」(ジュアルケービー)を結成、haderuとしてボーカルを担当する。その他、プライベート企画として、仕事のない休日に最新メディアを使って楽しいことを共有する『淳の休日』なども行なう。2017年2月には、初の新書となる『日本人失格 (集英社新書)』を出版。

 

Feel the roots, "Introduction".

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2017年3月5日、サッカーJ2のレノファ山口が「維新百年記念公園陸上競技場」にてホーム開幕戦を迎え、スタジアムの半分以上がレノファのチームカラーである「オレンジ」に染まった。その日、山口県・下関市出身の田村 淳さんが、haderuとしてボーカルを務めるロックバンド「jealkb」と共に、オリジナルの応援歌を引っ提げて駆けつけた。

ライブ直前の慌ただしい中、インタビューに時間を割いてくれ、レノファ山口の応援歌ができるまでの経緯や地元山口への真摯な想いを語ってくれた。

Karnel 編集部

 

Interview

地元・山口にて、レノファ山口の応援歌を初披露する意気込みを聞かせてください。

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長州や山口県への想いや戦う男達の想いなどを投影し、心を一つにするために作った曲なので、サポーターのみんなと一つになれたらと思います。

やはり初披露なのでドキドキもしますね。うちのバンドは楽器を持っていない振付先導係のhidekiがいまして、初めて曲を聴くみんなをどれくらい先導できるか分かりませんが、そのあたりも楽しみです。

 

レノファ山口FCの応援歌『Fight for a renovation』を作ることになった経緯を教えてください。

きっかけはTwitterでレノファ山口が気になるとツイートしたこと。

僕がレノファ山口を気になり始めたのは、J3からJ2に上がって、2016年の後半のシーズンあたりに、

“淳さん、山口出身だったらレノファ山口というチーム知っていますか?”

“山口県のサッカーチームがJ2に上がったばかりなのに大健闘している!”

というツイートが多く来るようになりました。

jealkbのメンバーもdunchiをはじめサッカー好きが多く、「レノファ山口って知ってる?」って聞いたら、「知ってるよ、今勢いがあるチームだよね」って教えてくれて。

そこから、みんなでムービーを見てみたんだけど、パスをパッパッパッとつないでいくサッカースタイルで、こんな魅力的なチームがあるんだと知って興味をもつようになったんですよ。

自分の地元にそんなプロスポーツチームがあるのは嬉しいですし、何かできないかなぁと思い、Twitterで 、

“『レノファ山口』僕も山口県出身者として微力ながら応援したい! がんばれレノファ!”

とツイートしたら、

“ありがとうございます!”

というようなツイートを選手の方が返してくれて、そこから選手との交流が生まれました。そのやり取りを見てくださっていたレノファ山口の運営の方と、ウチのバンドのプロデューサーがつながって、「応援歌を作れますか?」となり、「やってみたい!歌詞を書きたい!」といった流れで作ることになりました。

そして、自分たちが応援歌を作るんだったら、サポーターのみんなと一緒に選手を鼓舞するような音がいいなと思って、elsaに作曲してもらいました。jealkbのライブはお客さんと一緒に振りを合わせることがあるので、サポーターのみんなとも同じようにできたらと思って、体の動きなどを想像しながら応援歌を作りました。

僕は特に山口に対して熱い想いがあるので、志士の想いのようなものを歌詞に投影させました。そのせいか、すごいノリのよい曲ができたんで、サポーターの前でお披露目したいねと言っていたんです。そうしたら、こうやってホームの開幕戦に呼んで頂けることになって。本当に嬉しい限りです。

 

※レノファ山口応援ソング「Fight for a renovation」は以下にて試聴可能。
♪ Fight for a renovation

 


著書「日本人失格」の中に多面体で考えるとありましたが、今回のライブのようにjealkbのhaderuさんとして活動される時と、田村 淳さんとして活動される時、何か切り替えのようなものはあるのでしょうか。

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物事については多面体で考えますけど、その時々に合わせて別人格に入ってオン・オフみたいなものはないですね。

目の前にいる人を楽しませるとか、テレビなどメディアを通して見ている人を楽しませるということには変わりないので、「haderuスイッチ」や「淳スイッチ」があるわけではないです。

 

現在、福岡や仙台など地方局での活動もされていますが、地元を含め今後の地方について思うことはありますか?

地方創生と言われていますが、すべての地域がそんなに元気があるようには思えないですね。

先日、千葉県の勝浦市の方から「過疎化が進み、町が死にそうなので見に来てください」と言われ、実際に行ってみて肌で感じてきました。そこで「なんとかしてください」と言われましが、そんな権限を僕は持っていないですからね。ただ、メディアに出る立場として、そういうことを発信していけたらいいなとは思いました。

地元・山口にも同じような状況はあると思うんですよね。人口が減り、お年寄りが増えていくという町がたくさんある中で、「この先の日本をどう考えますか?」というようなことなど、僕が今考えていることを本に書いてみたりとか、Twitterだったりとか、新しいメディアを作るなどして発信していきたいと思っています。

 

その著書の中にあった、「山口の友達は心の支えというか…何かあっても帰ればいいやって…。実際は帰ってはいけない場所だと思っているし。」という部分に強い意志を感じましたが、どのような想いが込められていたのでしょうか。

僕は下関出身なので、高杉晋作像の前で「今から東京に行ってきます!」と誓いを立てて東京へ向かいました。

「脱藩」するような覚悟で出ていったんです。自分のやりたいことを見つけて東京に出ていった人間としては、帰ってくる場所というより、東京に行ったからこそ感じたことを山口のために発信する方がいいなと思っています。

ロケで5日前にも帰ってきましたし、事あるごとに山口には来たいですね。6月には山口の周南でjealkbのライブも行なうので、そちらにも足を運んで頂けたらと思います。

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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)