山響屋 店主、絵師

瀬川 信太郎

1984年 長崎県・島原市出身

2002年、日本海洋科学専門学校に入学し、在学時より大阪・通称アメリカ村にあるエスニック系雑貨店でショップ店員のアルバイトを始める。2008年、同店の正社員となりバイヤーとして国内外で買付けを行なう。同時に、大阪を拠点に縁起物ARTなどを展開する『うたげや』に参画し、だるまにオリジナルの絵つけ行う絵師としての活動もスタート。2015年4月、福岡市中央区今泉にて、九州を中心とした郷土玩具や民芸品を扱う『山響屋』を開店。2016年、MUJIキャナルシティ博多でのトーク・ワークイベントや、福岡パルコ、岩田屋本店などの百貨店、カフェ(STEREO COFFEE)でもポップアップストアを開催する。全日本ダルマ研究会、全日本郷土玩具の会、会員。
http://yamabikoya.info/


2015年春、福岡市・今泉にオープンした山響屋(やまびこや)。若き店主・瀬川 信太郎さんが九州を中心に民芸品や郷土玩具の作り手の元を訪ねて仕入れてきた品が1,000点ほど店内に並んでいる。「歴史の古かっとは数百年と続いとるもんもあるけんですね。その魅力や作られた土地のことを知ってもらいたかですね」と独特の島原弁まじりの言葉で話す。そんな瀬川さんに民芸品や郷土玩具に興味を持ちショップを始めたきっかけや、それらを通じて伝えたいこと、今後の展望などについて聞かせてもらった。

 

民芸品や郷土玩具について教えてください

どちらも古くから、その土地の文化や生活様式に合わせて日本各地で育っていったもんで、その土地にあるもんで作り、そこに住む人が使って、その土地のために作られてきたもんですね。

郷土玩具は、その土地の子供のためやったり、神様や祭りなどの信仰のためやったり、お土産のために作られ、地域の動物をモチーフにしたものがあります。比較的に平和な時代が続いた江戸時代が盛んやったようですね。もちろん、その前からもあって、お面なんかは祭りとは切り離せんですもんね。江戸時代の参勤交代くらいから、それまではその土地だけやったものが動きだしたごとあります。その頃、京都の伏見人形が全国各地に持ち帰られ、その土地でアレンジされ作られるようになって、宿場町を中心に街道沿いで販売されだしたもんね。”郷土”玩具という言葉も昭和の初期頃やって云われとります。

民芸品も、その地域の生活や風習に合わせて生まれたもんで、日常的に使う器や服、玩具など、色んな物を指し、自分は生活に身近なもので使い勝手がよく、素朴な美しさを持っとるものだと思います。

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民芸品や郷土玩具に興味を持ったきっかけは?

山響屋を出す前から、大阪でダルマの絵付けをしよったとですが、縁起物なんで自分も縁起良くありたいというのと、神社好きやったんで、京都の神社を巡り色んな『ダルマみくじ』ば買って集めよったんです。ある時、友人が連れて行ってくれた、東寺の近くにある平田郷土玩具店で、今まで見たこともなかった、『招き福助』があって、“縁起物の最たるもんじゃなかかね”と思って買ったんです。そん時から、ダルマ以外の郷土玩具に興味を持ち集めるようになったんで、それがきっかけやったと思います。

 

いつ頃から、ダルマの絵付けを始めたのですか?

福岡に来る2年ほど前からですね。大阪での専門学生時代に、田舎もんやったけん“アメ村でショップ店員”とかしたら、かっこよかねと思いエスニック系の雑貨店でバイトを始めたんです。途中、アメリカンアンティークの雑貨屋や古着屋で働いたり、DJしたり、ジャマイカやタイへと旅に出たりと自由に動いて、24歳の時に最初のバイト先へ正社員で入りバイヤーとしてタイや中国などに買い付けへ行っていました。

こん時くらいから自分の好きなものに囲まれたお店ばしたかなぁと思いよったので、お金を貯めたいというのもあって28歳の時にバイヤーではなく、ショップに入っていて働かせてもらいよったんです。ただ、貯金するだけのために大阪におるのもなぁと思っていたんで、絵を描いていました。以前から描くのは好きやったんですけど、仕事が忙しく描かなくなっていたので趣味程度にジャンルを問わず何でも描いていたら、次第にフライヤーやTシャツのデザイン用にと頼まれるようになりました。

そして、大阪で縁起物アートなどをしていた『うたげや』の方と一緒に個展がしたいと願を掛けた達磨を、その方に依頼したのをキッカケに知り合い「絵を描いてるんやろ? ダルマに描いてみらんね」と声をかけてもらい『うたげや』に加入しました。願叶って大阪を離れる前に個展も行いました。先日、福岡の岩田屋さんで郷土玩具をテーマにしたポップアップをさせてもらったんですが、11月23日からは“ダルマ”ですっとですよ。

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山響屋のコンセプトは、どのようして考えたのですか?

自分の店やけん好きなことばしたかなぁと思いよったのと、郷土玩具を扱っている店もなかったので、とりあえずやってみたという感じで、お店をしながら今のスタイルになっていきました。ただ、今までスポットライトが当たっとらんかった故郷(ふるさと)のおもちゃに、自分たち世代の目線で捉えて、作家さんの元を訪ねて話を聞いて一つ一つ仕入れて、紹介していくことがしたいというのはありましたね。

それから、絶やしていきたくないものを見極めて、どう残していくか、復活させて、その街へ戻していくというか、街の観光の一つとして使ってもらえんかなぁと考えています。そのためには、まずは知ってもらわないかんので、この店は知ってもらうことを前提にやっています。この考え方もお店を始めてから固まってきた感じです。最初は、郷土玩具はもちろん、器なども置いとったのですが器は他のお店でもされようですし、自分の一番好きなのでしていきたいと変わっていき、今年の1月に福岡パルコ新館のシトラスさんで郷土玩具だけで展示をさせてもらった時に、こっちでいこうと決めました!

 

作家さんを訪ねた時のエピソードを聞かせてください

郷土玩具や民芸品の情報は、ネットに載っとらんことも多いけんですね、本を読んだり、人伝いで聞いたりして収集しています。九州は、ほぼ制覇したと思いよったんですが、先日も飲み会の席で八女(福岡県)の方でトラの張子人形を作っている人の情報を聞きましたし、平戸(長崎県)の方の凧など、まだまだ見たことのないものあるんで、楽しいですね。

作家さんが活動しているとこのほぼ大半が個人宅で工房や店舗を構えてるとこは少なかとですよ。最初は、十日恵比寿神社(福岡市)の福引でしかもらえなかったダルマを置きたいなぁと思い、博多の張子達磨の本家を訪ねました。個人宅でしたので、なかなかピンポンが押せんかったです(笑)。

で、こういう身なりでいくけんですね、「なんしに来たと?」と言われますよね。
自分のお店の紹介を口でしても伝わりにくく、“◯◯を買いに来ました!”と言うと、「そうね、入らんね。こげん若かっとに、よう郷土玩具やらに興味を持ったね」と招き入れてもらえ、詳しい話も聞かせてもらえました。
お店が雑誌などに掲載されてからは、その本を持って行くとパッと見で理解してもらえるようになったんですが、最初の何件かは大変やったです(笑)。

でもですね、孫次凧(まごじだこ)という凧の作家さんを訪ねた時なんですが、店舗型だったので気軽に会えるだろうと思っていたら、2回行っても会えず、3回目にしてやっと会えたのですが、その日も最初は不在で「ごめんー、凧あげに行っとたー」ということもありましたね(笑)

直接、作家さんに会って買い付けてくるとモノに対する想いも強くなって、お客さんに販売する時も気持ちが入ります。最近は、九州各地からもお客さんが来てくれるので、関東や関西に行った時は、その土地の郷土玩具や民芸品を仕入れてくるようにしています。

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出身地・長崎県島原市にも郷土玩具はあるのですか?

夕方6時になると、町内のスピーカーから流れる“島原の子守唄”というのがあっとですよ。ゆる~い、ふわっとした民謡で、子供たちに“そろそろ帰らないけんよ〜”的な。最近、『島原の子守唄 人形』 という郷土玩具があることを知ったんです。今度、島原へ行くタイミングで見に行ってみようと思っています。地元の友だちや親に聞いても“知らん”っていうんですけどね(笑)。

島原は、城もあって、キリシタン一揆などもあって歴史的にはなんやかんやあるんですけど、原城の一揆の時に多くの農民が亡くなっているんですよ。その後、あいている土地を藩割して九州中のいろんなとっから人が入ってきたみたいですね。だから、島原の方言は各地の言葉がミックスされてイントネーションとか独特のようですよ。大阪におった時に、自分では関西弁を使いようと思っとたんですけど、「どこ出身の人?」ってよく言われよったです。福岡に来た時、同じ九州やし島原弁でも普通やろうと思い使いよったんですけど、「どこ出身?」って聞かれますもんね(笑)。こがんも違うのは何でかなと思って父ちゃんに聞いたら、さっきのように教えてもらったんですよ。

 

今後の展望について聞かせてください

引続き、各地の郷土玩具や民芸品の良さを伝えていきたというのはあるんですけど、本を出したいと思っています。できれば2020年の東京オリンピックの前あたりに。郷土玩具を切り口とした新しい観光の提案がしたかにゃーと思っとるとです。今までの郷土玩具の紹介本て、作者と人形がメインやったけん、興味がある人にしか見てもらえんかったとですけど、その郷土玩具が生まれた土地、風習や文化、お祭りなどを紹介した、今までの観光ガイドブックでは目を向けてもらえなかったところの魅力を伝えられる観光ガイドブックにしたかとです。

東北には“こけし”があるとですけど、あれって今ではこけ女て言葉ができるくらいブームになっちょりますよね。ばってん九州にもきじ車(きじ馬)っていう同じ木ば使った玩具があるとですよ。こいは例外もあるとですけど、九州が主な製作地やったとですよ。今でこそ製作者が少なくなったとですが、一時期はこけしと肩を並べるくらい九州の至る所で作られちょったとですよ。

今、縁あって作り手がおらんくなった“きじ車”の復活を目論んでいる所です。復活することができ、多く販売することができれば、作り手が必要となるので、市や街の人に“作り手が足りんけん”ということで、定年されたけど何かやりたい方などの再雇用や観光物産としての街の活性化などができるとじゃなかかなと思っています。そこまでもっていくことが目下の目標です。この活動なども発信していき、自分たちがやっていきたいことを伝えていきたいです。

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※ショップ情報などはcolumn内に掲載しています。

 

Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)