TONE GRAPHICS  代表取締役

江藤 裕仁

1977年 大分県・佐伯市出身

2000年、近畿大学九州工学部産業デザイン学科を卒業。在学時より、企業コンペに参加しロゴマークを制作するなどデザイン業に携わり、そのまま独立。2001年より筑豊地域を対象にしたフリーペーパー『Chiku-Ho skip』(現・Chikuski)を発行。現在、約1400の設置店を設け、部数8万部と筑豊エリア最大の情報誌となる。2016年8月、提携店によるサービス特典やポイントが貯まる『CHIKUSKI*PASS』という街のカードを発行。ほか、2011年の東日本大震災を機にスタートしたAKANE LINE PROJECT~アカネラインプロジェクト~の企画や、2013年よりスタートした音楽を主体とする筑豊の新しいまち興しプロジェクト「GOTTON JAM」の運営なども手がける。
http://tonegraphics.jp/  http://chikuski.jp/


福岡県の中央部に位置する県内4地域の一つ、筑豊。古代より遠賀川流域の平野で稲作が行われ、江戸時代には長崎街道の宿場町として栄え、明治以降は石炭産業により炭鉱の町として賑わったが、後のエネルギー革命により人口が減少していった歴史をもつ。今でも、筑豊には石炭採石の際に出た不要な捨石(ボタ)を積んだ、通称・ボタ山が残っている。そのシンボルともいえる山をイメージさせる半ピラミッド型のビル『NERO BOTANICA』に本社を構え、フリーペーパーの発行やデザイン事業を行うTONE GRAPHICS。今回、代表の江藤裕仁さんを訪ね、創刊のきっかけや他県出身者だから気づいたこと、今後の展望などについて伺ってきた。

 

TONE GRAPHICSの事業内容について教えてください

現在、メインとなっているのはフリーペーパー『Chikuski』の制作・発行と、そのWebサイトの運営をしています。それから、元々はデザイン事務所として会社を起こしましたのでデザイン関連の事業、そのほかイベント運営などの事業も行なっています。

当初のコンセプトでは、媒体を発行することで掲載した店舗さんからのポスターやDMなどの制作を請けおうことができればと思っていたのですが、媒体の方が順調にいき過ぎて、独り歩きしてしまったので、デザイン事務所の方が順番的に後にきてしまった感じです。

 

『Chikuski(チクスキ)』を発行したきっかけを聞かせてください

先ほども話したように最初はデザイン事務所として動きだしていましたので、自分たちのクリエイティブを表現する場として、多くの方に見てもらいたいと思ったからです。あと、広告を出してくれたお客さん(お店)とのコンタクトツールにもなりますしね。当時は、『Hot pepper』の前身にあたる『生活情報360』が福岡エリアなどにはあったのですが、筑豊にはなかったので作ろうと思いました。ただ、想いとしては新聞などに変わる、筑豊のメジャーな媒体にしたいというのがありまして、それは今でも目標としています。

タイトルの『Chikuski(チクスキ)』の意味を“この街が好き”って思われている方が多いようですが、創刊時のタイトルは『Chiku-Ho skip(チクホースキップ)』でして、“筑豊”というエリア名と、特に深く考えず“skip”という言葉を組み合わせただけなんです。媒体の成長とともに、“skip”という言葉が店舗名などに多く使用されていまして汎用性の高い名称ではオリジナルにはなりえないだろうと思っていたのと、元々『Chikuski』という言葉でロゴマークを作っていましたので、2004年に現タイトルへと変更しました。

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創刊時の思い出などはありますか

最初は、一人でアパートの一室からスタートしましたね。現在の配布形態(設置型)をとる『Chikuski』は2001年発行なのですが、実は2000年に数号だけ発行していまして、その後、発行休止になったのです。

その時は、新聞折り込みによる配布形態をとっていました。1号目から評判がよく、2号、3号目と広告を入れてくださるお客さんも多く、営業から制作まで一人で徹夜を繰り返していたある日、新聞社より集合広告の規制に引っかかるからとかで、折り込みはできないと言われたんです…。おそらく、新聞広告の営業が厳しい時に、なぜ広告が多く入った紙媒体を折込まなければいけないんだ!ということなんでしょうけど。こちらはエリア内の新聞全紙に折込みますという約束のもと営業し、広告を出してもらい、制作して印刷まで終わっているという状態だったので大変でした。だから、自分で新聞の販売店へ持ち込んで、お願いしてまわったんです。「今回で最後ね、本部から通達のFAXが来てるから」と9割くらいは配ってくれたのですが、残りは配ってもらえませんでした…。

配布手段を絶たれたので、発行を休止せざるを得ない状況になったのですが、不眠不休から開放されると思うと心の中では少し嬉しかったですね(笑)。休止期間に、他のビジネスなども検討しながら、やはり“スキップ”だなと思い失敗した点などを全て箇条書きにして、それをすべて解消し、2001年の法人化とともに再出発しました。休止している時に、広告を出してくれていたお店さんから、「お客さんの反応がいいから続けてほしい」といった、街の声を頂いたのは嬉しかったですね。

 

再スタートする際に新しくしたことは?

配布の仕方を折り込みから設置に変えました。というより、折り込みができなくなりましたからね(笑)。設置先は広告を出してくれたお店を中心に、直接配布してまわるようにしたのですが、これも良かった点だと思っています。顔と顔を合わせてコミュニケーションが取れますし、『Chikuski』を置いてくださるお店一つ一つがアンテナショップのような役割もはたしてくれたように思えます。

それから、エリアの拡大を行ないました。当初は、嘉飯山(飯塚市、旧嘉穂郡、旧山田市)エリアでしたが、田川市や直方市と筑豊全域にしたんです。飯塚の人は、田川へご飯を食べに行くことはほとんどないんですけど、その逆はあるんですよね。同じ筑豊でも烏峠を堺に文化が違うのは、歴史的にも筑前と豊前という国が違った名残もあるのかもしれませんね。そして直方の人は、どちらにも動かずに北九州方面へと動く傾向があります。ただ、自分は大分県出身で筑豊を知らなかったから、一つのエリアとしてしか見えなかったんです、一つの盆地だと。その中で田川の人の行動範囲の広さや、個性的なお店の多さなど、田川のマーケティングに早く気づけたのは良かったです。これはいける!と思い、自ら営業にまわって開拓していきました。何となく、“コワいエリア”といった都市伝説のようになっていますが(笑)、そういう場面にあったことはないですよ。

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『Chikuski(チクスキ)』 2016 11 Vol.183

 

自社企画されたAKANE LINE PROJECTについて教えてください

2011年の東日本大震災がプロジェクトをはじめたきっかけです。筑豊にも自粛ムードがあり、自分たちの媒体に広告を出してくれている、結婚式場は式のキャンセル、飲食店は営業不振による休業などを見て、“普段の生活をすることで復興支援につながる”ことができないかと考えました。そこで、被災地への募金をただ募るのではなく、デザインクラフトテープの購入を通して支援に参加するということを実感してもらいながら、復興へつなげていこうと。

このテープの販売を『Chikuski』の掲載店さんにも協力してもらったのです。まずは、お店さんに5個とか10個で買ってもらって店頭に置く、それをそのお店に来たお客さんが購入するという流れ、そうするにはお店を開けないといけないですし、お客さんが出かけることにもつながる、そうすれば“普通に生活すること”のきっかけになるかと思いまして。

国旗「日の丸」を最初に染めた由来をもつ飯塚市(旧筑穂町)の茜染めから、シンボルカラーを茜としたデザインクラフトテープで、筑豊から東北までの距離約1,000㎞をつなぐというプロジェクトで、テープが購入されると距離がどこまで伸びているか可視化できるようになっています。復興に対して長期的な取り組みをしたいというのもあり5年経過した今も継続中で、あと少しで到達しそうなんです。途中、金額がある程度まとまった時点で現地へも送りました。

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筑豊へ来た時の印象などを教えてください

高校生まで大分県の佐伯市にいまして、大学入学で飯塚へやってきました。それから、20年くらい住んでいますが、大分出身ということで地元酒造メーカーからのデザイン依頼などもあり、地元の仕事をすることもあります。

初めて筑豊に来た時は、地元と変わらない感じの田舎だなという印象だったので、遊ぶことは考えずに、ここからの4年間は学校や自分がしたいことに打ち込もうというか、深く潜ろうと思いました(笑)。そのせいもあってか学生時代から企業や自治体のデザインコンペに参加するなどし、4年生のころにはいくつかお客さんをもつほどになっていました。その頃はお金をもらうというより、OA機器から米までと物々交換が多かったですね。

地元の人とのコミュニケーションの中で、みんな自分の街のことが好きなんですけど、その思いを出し切っていないようには感じました。筑豊は炭鉱で栄えた後、福岡や北九州に抜かれて久しいので、どことなくコンプレックスがあるように思えましたが、そこにある内に秘めたエネルギーに惹かれました。

 

今後の自社や筑豊についての展望を聞かせてください

怒った時に自然と筑豊弁が出るほど、この地に住んで長いので、自分の“魂”は筑豊に埋めています。だから、“ここから発”で何かしていきたいというのはありますね。フリーペーパーの概念を変えるというか、広告を無料で掲載するという、広告の仕組みを変えたいんです。自分達の広告媒体が、広告を出してくれいるお客さんを苦しめているものになってはいけないと。“この媒体だったら”と喜んでもらった上で、広告料をもらわないといけないのですが、そうでもない媒体なのに“広告を出してください”とお願いするのは、どうなのかと思っていまして。
テレビや雑誌記事の取材が来ると喜ばれますよね、それは掲載費が無料だから。自分たちは、無料で配布するというフリーペーパーでやっているので、そうはいかない部分があるので、広告掲載は無料だけれども、広告の効果に応じた報酬がもらえたらと。

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それに向けての動きが、ことし8月にスタートしたCHIKUSKI*PASSなんです。現在、23業種140店舗が参加していまして、パスを持っているユーザーは提携店を利用することでポイントを貯めて使えて、特典を受けることができます。利用者にとっては、この街(筑豊)の優待券みたいなものですので、アクティブに動き回ってほしいですね。そして、このパスが、今まで見えにくかった広告効果を見えるようにしてくれるんです。結果が出るまでには、あと3年はかかるかと思いますが、媒体を始める前からイメージしていたものが形になってきました。

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そして、会社を成長させスタッフが誇りをもって働ける環境を整えていくことが第一なのですが、将来的に筑豊の農産物をPRしていきたいですね。筑豊には、「飯塚」「庄内」「嘉穂」「穂波」「山田」「稲築」「田川」など、米に関する地名が多く歴史的に古くから稲作をしてきたことが分かるように、稲作が盛んでして、おいしい米があります。そして、野菜もとれますし、きれいな水があるので日本酒もあります。それに、筑穂牛といった良質な肉もあるので、自治体の垣根などを越えた筑豊の“ブランド”を起ち上げて海外で広めてみたいですね。例えば、農業大国でもあるフランスで、“筑豊マルシェ”のようなことを開催し、現地の有名シェフが筑豊の素材を使って調理するなどして味わってもらいたいです。そのことが、テレビのニュースなどで取り上げられ、外から“筑豊”を評価されると、この街に住む人も嬉しいと思います。それを弊社で手がけられたら、『Chikuski』だけど筑豊以外の情報を入れることもでき、表紙や中面にフランスのことが入っていても意味がありますし、面白いですよね。
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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)