株式会社まちあい徳山 代表取締役

河村 啓太郎

1980年 山口県徳山市(現周南市)出身

2002年、慶応大学商学部卒業。卒業後、株式会社しまむらに入社。初年度は千葉県の店舗へ赴任、翌年、福岡県で店長に就任し1年半の間、同店の店長を務める。2005年より、アミューズメント・フード・プランニング事業を営む家業の株式会社オーパスに入社。新卒採用の仕事からスタートし、現在は取締役・企画部長を務め、飲食店事業の統括を行う。2010年10月、周南市、徳山商工会議所、商店街から出資を受け、まちづくり会社「株式会社まちあい徳山」を設立。http://www.hp.machiai-tokuyama.com/


山口県の東南部に広がる周南市。その中核でもある徳山は瀬戸内海に面し、かつての日本海軍燃料廠に由来する石油精製業といった重化学工業で栄えてきた。街の中心部を担うJR徳山駅周辺には、商店街が形成され1970〜80年代に最盛期を迎え、その後は郊外にショッピングセンターができ、大型店の撤退など状況が変わってきた歴史を持つ。そのような中、まちづくり会社が設立され、商店街の活性化に向けた取り組みが進められている。今回は、「株式会社まちあい徳山」の代表取締役・河村 啓太郎さんを訪ね、まちづくり会社を設立したきっかけや、活動内容、今後の展開などについて伺ってきた。

 

最初に、まちづくり会社について教えてください

「株式会社まちあい徳山」は、周南市、徳山商工会議所、商店街をはじめとする民間企業から出資を受ける会社です。行政が街の開発を行ないたい時などに中心市街地活性化基本計画を内閣府に提出し、総理大臣認定取得を得ることで補助を受けることができるのですが、そのためには民間企業が構成員となる「中心市街地活性化協議会」と「まちづくり会社」を設立することが2006年に義務付けられました。中心市街地の活性化を行政だけではなく、民間と一緒に盛り上げていくというような仕組みです。このまちづくり会社がカタチだけになりがちな地域が多いようですが、周南市の場合は、計画を進めて行く上での中心的な存在として「まちあい徳山」が様々な活動を行なっています。

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河村さんがまちづくり会社の代表になった経緯は?

会社が設立された理由は、周南市は活性化を進めたい、民間も商店街の衰退を盛り返したい、商工会議所も支援はするけれども各所との連携など、なかなかスムーズにいかないということが多かったので、その間にまちづくり会社が入り課題を解消させるためです。

私が関わることになったのは、この会社が立ち上がるに際して誰を代表にするかで困っていたところ、白羽の矢がたったという感じなんです。徳山に帰ってきて時間も経っていなかったことや、自分の家業の会社が安定していたということもあってなのか、地元の先輩に誘われて巻き込まれたような格好で、この会社の立ち上げに参加することになりました。

ですので、私が立ち上げたいという強い想いがあったわけではなく、立ち上げなければならないときに、ちょうどいいやつがいたという感じに近いと思います。忘れもしないのですが「この会社の代表になっても、時間も取られないし、個人投資もしなくてもいいから」と言われたのですが、すべてウソでした (笑)。

ただ、家業の会社のルーツが、この商店街にあったので小さな頃から慣れ親しんだ場所でもありますし、祖父が商店街のことへ熱心に取り組んでいましたので、自分が商店街のことに取り組むようになったことには、何かの縁を感じています。

 

設立当初はどのような活動をしていたのでしょうか

最初、この会社で何をやったらいいのか分からなかったです…。まずは、商店街に人を集めたらいいのかなと思い、イベントの企画・開催や、商店街の情報を発信するようなことをました。当時は、今ここに住んでいる人達の気持ちに火をつけることができたら、課題の解消(活性化)ができるかと思っていました。

イベントで人を集めることができたら、商店街の営業が活発になるのではないかと思っていましたが、イベント終了時に商店街の方々に挨拶にいったところ、イベントに対してのクレームが出てきたんです。“人は集まってもの売上につながらない”“イベントの出店者がウチの店のスペースを使っている”“道が汚れる”など。そういうことを何人かの方に言われて、自分たちがしていることが間違っているのではないかと思うと同時に、自分たちの取り組みに対しての反応や結果がでないことに悩んでいました。

 

とある、ひと言が新しい考え方を与えてくれた

まちづくり会社を設立して1年半ほど経ったときでした。街の活性化をサポートしてくれている機関からの補助で、街に来ている人へアンケート調査を400人ほどに行なったのです。街に来る目的や、交通手段などといった内容のほかに、イベントについての自由回答欄も設けました。その中に“イベントを沢山やってくれるのは嬉しいけど、こんなシャッター商店街をPRして何になるの?”というようなことが書いてありまして、ハッとしたんです。確かに、お店がないところでイベントをして、その時は人が集まっても、イベントがない時に来ようとは思わないよなと。

それから、いろいろな地域やセミナーに自費で行きまくりました。そこで知りあった方に、徳山へ来てもらって話をした時に、2つ方針が見えてきたんです。一つは、当たり前のことですがシャッターを減らさないといけない(新規出店)。そのためには仕組みが必要だということ。もう一つは、そこで稼げないといけない。もっと早く気付けたら良かったのですが、設立して2年後くらいのときでした。

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気づくと出店が後を絶たない状況に

空き店舗になっている場所にお店が入らないと始まりませんので、新規出店の際にかかる店舗改装費をサポートする「周南市中心地商店街テナントミックス推進事業」という仕組みを再構築しました。この街で開店する人を徹底的にサポートしようと、補助金制度だけではなく、事業計画書の作成などのサポートから開店後のケアなども行ないました。ケアに関しては、隣接する店の方とうまくいかないといった相談をはじめ、印象的だったのは若いカップルがお店をスタートし、店も繁盛してきたのに喧嘩して別れるから店を閉めると言い出したので、店を存続させるために仲裁したことですね(笑)。

これまでは変わりようがないものを変えようとしていましたが、新しい血を入れて何か刺激を与えたら変わろうとする人たちへサービスを提供するようにしていったことが、出店を加速させたことにつながったのだと思います。そういう流れの中で、何店舗かはスゴイ人気が出て、あっという間に投資を回収できるほどとなり、それを見ていた出店者の友人らが開店するという広がりもありました。おかげさまで、この5年で約40店が出店し、出店物件がほぼ埋まっている状態でもあります。この新規出店事業のほか、仲間を募って子会社を作り街の中で事業を実現しているということなども認められ、2016年経済産業省の「はばたく商店街30選」にも選出されました。

 

衰退していた街の中心地(商店街)の見え方も変わってきた

高校を卒業するまでは徳山にいましたが、その後東京、福岡へと行っている間にも徳山の中心地が寂しくなっているのは帰省の際に感じていました。徳山というエリアを全体として見ると都心へ行きたい時は福岡や広島へも行けますし、生活しやすいところですが、中心地でのビジネスは厳しいなと思っていました。

ただ、市場がないわけではないので、やり方を変えればということはあると思います。子会社で経営しているカフェもそうですが、中心地の百貨店が閉店するというタイミングで市民の方から出ていた声で、“お茶が飲める場所がなくなる”“パン屋さんがなくなる”“気軽に行けたトイレがなくなる”と聞き、その全てを取り入れたベーカーリーカフェを開いたところ、多くの方に来て頂いているので、こういうことではないかなと思っています。

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今後、どのような商店街になってほしいですか

野心を持った、面白い人に来てもらいたいですね。そういう人が、また人を呼ぶと思います。商店街は、郊外のショッピングセンターに比べ環境面で足りない部分はたくさんあると思うのですが、足りない部分というか、そういう作られてない部分に面白みがあると思うんです。そこの街、その場所にしかないお店や雰囲気、シズル感のようなものが漂う場所にしたいなと思っています。

そのための大きな要素は人だと思います。現在、2018年完成を目指した駅ビルの事業が進んでいまして、完成したら人の流れも変わるでしょうから、そこに来る人を対象にしたビジネスを志す人が商店街に集まってきてもらいたいです。

商店街だからといって、必ずしも物販に限らなくてもいいと思うんです。いろんな人達で多様な商売をしているほうが面白いですよね。ここ(商店街の中にある和光ビルをリノベーションしたコミュニティスペース、店舗、オフィスが入った施設)には、ゲームやアニメの製作会社も入っているんですよ。以前に、『新世紀エヴァンゲリオン』で有名な徳山(現周南市)出身の漫画家・貞本義行さんを招いてのイベント「SHUNAN萌えサミット」の実施をきっかけに、新たなビジネスの創生にも動きがあるので、さらに広がっていってほしいですね。そして、これまでの商店街の既成概念にとらわれず、ここで稼ぎ、生計を立て、ビジネスを大きくしたいという想いを持った人達のお店やオフィスが並ぶ商店街になることを願っています。

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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)