株式会社CROSS FM代表取締役社長 兼 営業本部長

坂田 隆史

1959年 佐賀県出身

明治学院大学法学部を卒業後、食品メーカーなどに勤務。1991年、株式会社エフエム佐賀に入社。95年に株式会社九州国際エフエム(LOVE FM)へ転職し、2社とも開局から携わる。2011年、株式会社CROSS FMへと移り、取締役・福岡営業部長に就任。同社取締役副社長を経て、2015年6月から現役職に。
http://www.crossfm.co.jp/


地元・佐賀と福岡で、FMラジオに携わって25年。その間、カラーの異なる3局を渡り、現在はCROSS FMの社長として、また営業本部長として活躍する坂田 隆史さん。今回は、福岡スタジオを訪ねインタビューを実施。異業種からラジオ業界へ入ったきっかけから今に至るまで、地方とラジオの関係性、坂田さんから見た佐賀の街づくりなどついて、話を伺ってきた。

現在のお仕事内容について聞かせてください。

今は、社長として会社全体を見るということと、人と人とのつながりが大きな業界でもあるので営業の顔としても動いています。5年前、私がCROSS FMに来た時は、会社の経営が厳しく、ファンドのもとに再生を図っている時期でした。それまで、福岡でラジオの営業を長くやってきましたので、取締役兼、福岡エリアの営業部長として入ったんです。その後、北九州エリアの営業面も担当するようになり、昨年(2015年)、社長に就任しました。

最初に、お話したように営業としての側面も併せ持っているので、名刺には「代表取締役社長」と「営業本部長」という二つの肩書が入っています。そうすると、お客さんのところへ行った際、“挨拶”だけではなく“営業”に来たんだなという、ファーストインプレッションの感じ方を変えることができますからね。

 

具体的にラジオ局での営業とは?

分かりやすく言うと、放送局の営業とはコマーシャルを取ってくることなんですけど、そのためには自社のメディア力をいかにPRできるかが問われてきます。クライアントのお客さんにあたる層が、CROSS FMのリスナーさんに沢山いますよとプレゼンしたり、新しくできるスポットやイベント、キャンペーンなどの情報をいち早くキャッチし、ラジオを使ったプロモーションを提案したりしています。2586

業界や仕事を含めラジオに興味をもったきっかけを教えてください

遡っていくと洋楽を好きになりラジオを聞いていた小学校高学年まで戻るかもですが、やはり東京で食品関係の仕事をしていた80年代の後半でしょうか。その頃は、洋楽大全盛時代で音楽の可能性が多岐にわたって発掘された時代でした。そして、独自の番組を制作し放送するFM局が出てきたのです。それまでは、東京を中心にしたネットワーク局だけだったので。

独自に制作していくという点で、コマーシャルにも新しい表現方法が使われ始めました。今まではなかった、60秒、120秒といった長尺のコマーシャルが流れはじめ、リスナーの感性に刺激するようなものが出てきたんです。FM横浜はネットワークに属さない日本で初めてのFM局でCMにも独自制作のものがあって、いまだに覚えているのがトヨタの「カリーナED」という車のコマーシャル。その車自体には興味はなかったものの、サーフィンをしていた自分にとっては、湘南の国道134号線を辿っていくような内容のコマーシャルを聞いた時に、情景が自分の頭の中で思い浮かんだんです。ラジオのコマーシャルってこんな使い方があるんだなと。番組ではなくコマーシャルからラジオを意識したような気がします。

その後、東京で都市生活者に向けた内容をコンセプトにしたJ-WAVEというFM局がスタートしました。局自体が都会的なオシャレな雰囲気を持っていたので、好景気という時代背景もあってか、すごい人気だったんですよね。それまでは、カウントダウン型のチャート番組が週末に流れていて、その情報を得たいから“番組を聞く”という感じだったのですが、J-WAVEの登場以降は、ラジオを一日つけているだけで自分に必要な情報と音楽がずっと流れてくるという、今で言うライフスタイルメディアのあり方にすごく共感を覚え、ラジオをやってみたいなと漠然と畑違いの仕事をしながら思っていました。

 

思っていたことが現実に。そしてラジオ局の営業担当へ

そんなこと思っていた頃、地元にFM佐賀が開局するということで社員募集をしている情報を知りました。何のコネクションもなく、募集要項は30歳までと、31歳の自分は年齢オーバーだったんですけど、熱い想いを面接で語ったのが良かったのかどうか分かりませんが、何とか入ることができました。

自分から営業を選んだのではなく、最初に採用された全員がスタジオに入れられたんです。そして、原稿読みをしてみて、上手い人はアナウンサー、口が達者な人は営業だったのでしょうか(笑)、私は営業を担当することに。佐賀初のFMとして、開局前の準備から経験させてもらい、6年間在籍していました。

 

転職先の2局目でも開局から携わることに

その後、業界でのつながりも広がっていく中で福岡に外国語放送局が開局するということを知り、独立系FM局として白紙のタイムテーブルに自分たちで番組コンセプトから放送内容まで決めることができ、より面白いことができそうだなと思い九州国際エフエム(LOVE FM)への転職を決めました。開局前から入り、また立ち上げから携わったのですが、すでに福岡にはAM2局、FM2局がある中でのスタートでしたので、FM佐賀を立ち上げるときは違った楽しさがありましたね。選曲は洋楽主体で、使用言語は英語や中国語、韓国語といった外国語中心という、福岡では他にはないコンセプトだったので差別化もしやすかったというか。ただ、営業的には苦しかったですね。日本人のリスナーさんから何を話しているのか分からないと…。リスナーさんがいないとスポンサー獲得にもつながらないですからね。でも、イベントを行う時は、先発の他局と比べリスナーさんが多くなかったので、規模は大きくなくとも満足度の高いものにしよう心がけていました。

 

今後、CROSS FMをどのような放送局にしていきたいですか?

2011年にCROSS FMへ入ってみて感じたのは、開局のころから聴いてくださっているリスナーさんがいらっしゃること。開局当時は、選曲やナビゲーターのパワーで、聴いていると元気が出るといったイメージがあったと思うんです。一度、会社の経営が厳しくなり、制作費のコストダウンを図ったことで、少し元気良さが薄まったのかもしれないと思う部分もあるので、まずは「元気」「楽しい」といったものを復活させたいなと想いでやってきました。

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そして、今年の4月に親会社がDHCに代り、新しい方向性を作っていくための目処がついてきた時期にきていると思います。以前から、元気よくやって頂いているナビゲーターもいるので、それにプラスアルファしながら、元々CROSS FMが持っていた、番組や会社作りをしていきたいですね。そのためには、スタッフや社員などステーション側の人間が、そういう想いで作っていかないと。やはり、音を通してリスナーさんに伝わってしまいますからね。

ラジオ全般的に、ここ20年ほど陥ったよくない傾向として、以前はマイクを持って現場に出て取材をしていたのが、ネットで検索して文字情報が原稿になるという流れがあります。すべてを否定するわけではないですが、ナビゲーターもディレクターも外へ出て、実体験を文字情報にして自分の言葉で伝えてほしいですね。それが、絵のないメディアであるラジオの特性でもあるかと思っています。そうすることで、気持ちが伝わることにつながってくると思います。誰々のコンサートの内容を伝える時も見に行った人の言葉の方が伝わるんですよね。だから、CROSS FMのナビゲーターはよく観に行っていますよ。できるだけ、外に出てもらいたいです。

そして、九州や日本といった自分たちが暮らす場所を大事にしていこうよというメッセージを発信していきたいです。そうすると“グリーンステーション”というステーションのキーワードとも合ってくると思います。自分たちのホームタウンを大事にして、よその人に誇れるよう地元感を作っていけたらと思います。

 

佐賀が好き過ぎる!? 地元に戻ってきて20年

学生、社会人と東京にいる頃から、地元感が強くていずれ佐賀に帰りたいと思っていましたね。唐津の海でサーフィンをしていたので、それもあったかもしれません。今も佐賀市内に住んでいまして、月曜は北九州、火曜は福岡、水曜はどちらか、 木・金曜は東京という生活ですが、基本的に佐賀を拠点に通っています。完全に引っ越すタイミングを見失ってしまいまして…笑 この20年、佐賀から福岡へ通っていますよ。

 

地方、地域とラジオというメディアの関係

福岡にしても、佐賀にしても、僕が携わらせてもらったラジオというメディアは、ローカルメディアだと思うんです。LOVE FM時代に、東京から福岡に向けて放送をしたこともあったのですが、やはり地元で放送する方がいいなと思いました。リスナーと共有する空気感や情報の濃度が違うのかなと。もちろん、東京からの情報も一部あっていいと思いますが、全体のボリュームの中で占めるのはローカルのものでないとね。CROSS FMは、北九州と福岡から交互に放送しています。その距離感でさえ、北九州で福岡からの放送を聞いた時に若干の違和感を感じられることがあるかもしれません。それくらい、放送する場所と聞く場所は密接な関係にあります。でも、逆に二つのエリアから発信できるのはCROSS FMだけですのでその強みを生かし、福岡県全体というくくりで情報を網羅していきたいと思っています。

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私は、これまで福岡と佐賀でラジオに携わってきましたが、それぞれのエリアで情報を出し続けることが大切だと思います。福岡の人にとって佐賀は遠いのですが、佐賀の人にとっては近いんですよね。それは意識の距離のことなんですが。佐賀から通っている自分からしてみたら、そんなに遠くないのですが、福岡で飲んでいて「佐賀まで終電で帰る」と言うと、「遠いですねっ!」て、とても驚かれます。意識の距離と実際の距離が乖離しているのですが、それを情報が縮める役を担っていると思うんです。佐賀の人は福岡の情報をよく知っていますが、福岡の人はあまり佐賀のことをご存じない。その情報格差を埋めていくことで、交流人口も増えるのではないかと思います。

 

地元の街が元気であり続けるには何が大切だと思いますか

佐賀市の中心部で幼少期を過ごしまして、近くには商店街や飲み屋などがある街でした。1階が店舗で、2階が住居といった感じの街並みです。当時の都市計画は、郊外の田んぼを宅地化、道路の整備をしていったように覚えています。それまで、商店街の中に住んでいた人達も郊外に住み、お店へは通勤するようになったんです。人が住んでいない街になっていくと、自然と街に人が集まってこなくなりました。だから、商店街とその周辺には人が住んでいるというのが大切だと思います。

福岡の新天町も、昔は店の2階に住んでいましたが、今ではほとんど住んでないと思います。場所的に集客力が高いので商店街として残っていますが、店の入れ替わりも多いですよね。それも、人が住んでいないからだと思うんです。佐賀は、さらに郊外に大型店ができ、街には人が集まらなくなった。街を活性化させるためにとイベントが開催されるのですが、人が集まるのはその時だけなんですよね。

ただ、佐賀市だけを見ると活性化されていないようにも捉えられるのですが、福岡と佐賀というエリアで俯瞰して見ると、福岡の人からしてみたら休日にのんびりしに行ってみようかとなった時に、活性化していない方がいいと思うんです。少し田舎へ行ってみたいといったニーズがあるので。

福岡の人から見た佐賀の存在価値。そこをもっと伸ばして上げて、週末だけでも賑わうような街づくりができたらいいのではとも思います。その逆もあるので、お互いに情報を交換ができると、交流人口が増えて街づくりの仕方も変わってくるんじゃないかと。佐賀に住んで、福岡へ通っているから、こういう考えに至るのかもです。たまに、佐賀の人から街の活性について聞かれることがあるので、この話をするとすごく納得してもらえるんですよね。そして、佐賀の情報を発信していくためにも、もっとラジオを使いましょう!と結びつけています(笑)

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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)