株式会社ホスピタブル 代表取締役

松清 一平

1971年 福岡県・福岡市出身

株式会社ホスピタブル
代表取締役 松清 一平

1971年 福岡県出身
九州大学法学部卒 KBC九州朝日放送入社。2007年九州大学大学院経済学府産業マネジメント専攻 (QBS) で経営学修士=MBAを取得。その後KBCを退職し株式会社ホスピタブル社を立ち上げる。


日本と韓国、そしてアジア。草の根目線での経済交流をさらに促進すべく、今まで誰も踏み込んだことのない「韓国国内での日本各都市の飲食店や名所のPR」を「NAVER」など日本ではYahooと同等のポータルサイト及びパワーブロガーの取材も絡めた非常に質の高いインバウンドPRサービスを展開。更には参入障壁の高い韓国国内でのECサイト運営も。また数年前より韓国各地の大学と提携し日本企業への人材紹介事業を開始。
http://www.hospitable.co.jp/
http://99s.asia/

 

お話を詳しくお伺いする前にひとつ。現在博多駅前の韓国人旅行客が年々増加していますね。目を見張るのがとある「ハンバーグ屋さん」。大行列ですが?

笑。弊社のお客様です。もともとは福岡パルコ店にて2010年に福岡パルコさんからプロモーションをご依頼いただきました。当然紆余曲折はございましたが、今ではネット上で「福岡」の検索に対し「ラーメン」ではなく「ハンバーグ」のワードのほうが韓国では有名になってる模様です。

 

現在運営されているホスピタブル社について

弊社は基本的に3つの事業分野を持っています。
・まずは店舗及び韓国国内向けのECサイト。
日本酒や器など、日本各地の特産からお土産品までを網羅したECサイトの運営及び、博多駅前に店舗を構え、韓国からのお客様がお土産としての日本全国の商品をご購入できるよう商品を準備致しております。
・二つ目が韓国に特化したインバウンド向けの広告マーケティング及び広告物の制作。
日本各地のインターネットでの情報発信と、それに合わせた地図の発刊を行っています。
(現在:福岡・北九州・沖縄・札幌、今後大阪、対馬も発刊)
・三つ目は韓国の各大学からの新卒者等を日本の企業様へご紹介する人材紹介事業となります。
高いレベルで日本語を習得した学生と日本企業マッチングをご提供しています。すでに日本全国に100名強の人材が旅館様やホテル、貿易を営む中小企業様などへ就職しております。

上記②の広告に関する事業では、弊社独自のPRモデルを確立しております。
情報発信力を質高く、なおかつ広範囲に知らせるために
・情報の信頼性を保持させる事(実際の取材)
・露出数を上げる事(韓国国内でのウェブマーケティング)
どういう商品がそもそも売れるのかも含め関わるスタッフみんなで考えるモニタリングの意味合いも込め、韓国人パワーブロガーを実際に日本へ招聘します。クライアントの店舗や企業を直接取材し、また意見交換を行うなどのフローを「パッケージング化」しご契約いただいております。また主要都市で毎月定番化し、マップ制作などに活かしています。

上記の事業は全ていままで全く存在していなかった事業でしたので、スタート時は自分自身1人で動き1つずつ実績を作りました。大分県庁から始まり→JNTO(日本政府観光局)→横浜市コンベンションビューロー→佐賀市役所と地方自治体も韓国人のブロガーさんを招聘することに対して全く知識も経験もなかった状態で、それを僕らが仕事として受け始めたのが最初のきっかけです。

 

福岡県外でのお仕事が多い印象ですが、地元での業務はどの程度でしょうか?

地元(福岡市)自治体からの業務は一回もありません(笑)。福岡に対して売り込みもしていないです。
何故かと言うといまさらなんのPRをするの?というくらい、福岡へはアジアの方々はたくさん来ているので、ある意味やる必要もないですよね。(笑)元々、大阪市や福岡市は営業対象ではないですね。

逆に、最も九州でお付き合いが深い自治体は北九州市です。後発の立ち位置であるがゆえ、やりがいもあり、実際に集客・消費効果がここ4年で大きく出ています。初期段階においての地方都市っていうのはその地方の名前すら知られていない。そこからです。

自治体からのオファーは東日本大震災の前のほうが多くて、震災後はあまりないですね。震災後から自治体がコンペ形式が増えて、結局「ブロガーさんだけを呼びたい」というような話になり、私たちのサービスとは違う方向に向かってしまうことが多くて。

とある自治体の仕様書に「ブロガーさんが書いたブログをアップロードする前にチェックさせてください」と言われました。実はこれって景品表示法違反です。(ステルスマーケティング)そういった要望が仕様書に書いてあるコンペなどの案件に関して断ることにしました。無理難題が多すぎることと同時に、毎年同じことをしようとします。ということは、毎年仕様書をコピペして違う担当者がやっているだけで “熱意”がない。そういった案件の依頼先がホスピタブルだ!と言われたくないですしね。

実はそこで出会ったのが「北九州市」。今まで関わってきた観光課ではない部署の方と出会ったのがきっかけです。担当は「商業・サービス産業政策課」いわゆる商店街などの地元経済の活性化を担当する部署です。僕自身そこが一番やりたい仕事だったんですね。そこでまずはただしたかったことは、「観光のPRをしてもお客はリピーターにならない」ことです。商店さんは買っていただいてなんぼなので、売る側が気持ちよく売れる環境が作れないと買い手はこないですよね(韓国語などを理解できないなど)。その抵抗感を払拭させたいという気持ちがある中で一番最初に賛同してくれたのが「北九州市役所」なんです。

 

商店街に興味があったのはやはり商店街出身だったからですか?

それはあります!(天神・新天町出身)やはり自分の親の世代は外国人に苦手意識がある人が「来なくていい、関係ない」といっている方が多いのは、言い方を変えると単純に外国人の方々と商いできないだけなんです。本当は心の弱みを隠していると思います。それよりもニコニコしながら商売をしていくほうが子供も孫も喜ぶでしょ?それを伝えたいけど最初の一歩ってみんななかなか踏み込めないものですよね。そこは市役所の方も気づいていました。

空港があるのに飛行機の便がなくなるっていうのを2回も経験し(北九州空港)、せっかく空港があるのに便が少ない。観光地は福岡・熊本・由布院・別府に流れて「僕達の街にはいつ誰がくるんだ!」という不利な状況がいっぱい揃っている状態からのスタートでした。

商業サービス振興課の方が「エリアに来ている人は下関と門司港にしか行かない。小倉には降りない。いかがなものでしょう。」と素直に吐露されたので「そんなの簡単ですよ。買いたくなるもの3アイテムあれば人は来ます。それを発掘するところからやるのと、スムーズに売れる環境さえ作れれば絶対お客様は来ますよ。」というと、その場にいた市役所の安永さんという課長さんがすごくリーダーシップのある方で、その考えをすぐにスタッフ全員に伝えてくれて。その時から商業・サービス産業政策課はいまだにちゃんと活性化の為、動いてくれています。

1年、2年とどんどん実績があがっていきお客様は増え、モノは売りやすくなっておばちゃんたちが「売れることになったよ」と声をかけてくれる。確実にお客様が増えているわけです。そういう肌感覚をみなさんがプロモーションで感じてくださってこれが震災後、自治体のお仕事の起爆剤となりました。

創業当初はインバウンドビジネスの黎明期でして、事業をやっているうちにお客様が増えていろいろと追い風が出てきたのが、ホスピタブルの4年目でした。しかしここで大きな出来事が。「2011年の東日本大震災と原発事故」。
この災害で社で積み重ねてきたものを9割失いました。あの時に韓国人のパラダイムシフトがすごく起こってしまったからそれに上手に合わせて拾う物、残すもの、捨てるものを再配分した結果が今に至るという感じです。

 

韓国の方の日本に対する見方が、震災前と震災後では全然違っていたということですか?

そうですね。その頃は東京一辺倒じゃないですか。その前にも波があったのが2007年までは円安ウォン高、それが2008年のリーマンショックで円高ウォン安にひっくり返って落ち込んで、訪日韓国人が来なくなったんです。起業後の現業の実務はリーマンショックが起こった直後(起業して1年頃)からスタートさせたのです。

一番不利な状況からスタートしているから訪日韓国人が来ていない状態です。情報を発信したらインバウンド客が来る一方ですよね。こんな状況だからこそ確実に自分たちの成果だと実績を見せやすかったです。何かを始めるときは逆張りのタイミングが一番いいですよ。2008年〜2010年ぐっと伸びてきて僕らの仕事はイケる!と思っていました。

その矢先、2011年の東日本大震災と原発事故。年度初めの契約を持っていたのですが、ギリギリのところで全てキャンセル。それが一番辛かったですね。放射能のリスクや風評被害に対して何をしていいのかわからなくなってしまってどの程度の影響が何年続くのかっていうのが本当にわからなかったです。

翌月、韓国国内で一番日本に対してネガティブな情報と空気っていうのが出ているだろうと思しき時に、スタッフ全員連れて韓国へ行きました。アンケートにより貴重なデータがとれると同時に「自分の仕事を辞めるかどうかの判断基準」がわかるかなと思い、ソウルで720人に明洞や汝矣島でスタッフ全員で対面アンケートを実施しました。

一度自分の中で情報を拾わないと納得いかず、メディアの発信している事とみんなの深層心理にどういうギャップがあるのか自分の中で何も解決策を持っていないため疑問符が拭い去れなくて。実際アンケートをとってみたら皆さん意外とインターネット上に(風評被害のことについて)拡散させていなかったのです。知人同士で話題にするのが半数、残り半数は何も話題にしていない。

びっくりしたのが「日本は終わった」、「大変だ」と大騒ぎして拡散した方が一人もいないどころかめちゃくちゃみんな優しくて応援メッセージをたくさん書いてくれました。被害にあった場所はみんな理解しているんですがテキストにすると被害地域箇所の名称の理解が「トーホク・ホッカイドウ・カントウ」と場所がバラバラ。

 

原発事故が九州と思っていた方も?

はい、10人に1人いました。福岡と福島を間違えている人もいました。
アンケートは日本地図に丸をつけてもらうのと、テキストで確認する方法をとりました。なぜかというなら地図を見て情報を入手し、検索する時に文字をいれるでしょ?文字を入れるところに間違いなく誤解とバイアスがあると思ったから両方を聞いたら案の定すごくズレがあったんです。

北海道だと思っている人が多くて4分の1を占めていました。この情報を北海道新聞に送ったら記事になっていました。「義援金協力しますか?」の質問には「もうした」が30%、「これからする予定」40%、合わせて70%がすると言ってくれました。
日本人が目の前にきて「お前のとこにはお金を出さない」といったのが30%ですけどね。僕はこれの結果が逆で日本のことにはお金出さないよ。というのが7割だったら仕事辞めようと考えていたので。続ける一番のきっかけになったのがコレですね。想像を大きく裏切られて、僕は逆の立場だったらこう答えたのかなって考えさせられました。

反日のイメージがありましたが民間の方々は温かい。メディアの情報発信されることと民間の方々の思い、少し温度差がありそうですね。

本当にそうだと思います。3.11当日、僕は釜山にいたんですが、次の日の新聞を現地で見たとき津波の写真をバックに書かれていたハングル文字を見て愕然としました。「日本沈没」と書いてあったんです。悲しい気持ちで許せない。と思ったのですがその思いは韓国の民間の方々も一緒で「友達のいる国になんてことを書くんだ!」ってツイッターが荒れていてそれを見てすごく救われました。この仕事は続けないといけない。何かをしなければと相当悩みました。どん底でしたが復活させないといけない!という思いで、素材・リソースを全部調べてこの話をもとに「それでも韓国人が訪れた日本」、「それでも日本で買ったもの」を全部調べ事業内容の見直しをしました。それが今現在の仕事につながっています。

 

その時のリサーチは、やはりものすごく大切なものになりますね。

もちろんそうです。どの場合でもそうですけどリサーチって絶対全部自分でやります。マーケティングデータには「プライマリデータ」、「セカンダリデータ」っていう考え方があって、セカンダリデータは2番目という意味なので人が調べているデータを借用するものです。プライマリは直に自分で調べるものなので、弊社は基本全て「プライマリ」です。
“直接聞く以外は一切信じない”
特に韓国はメディアが間に入ることで情報が影響させる人間が山ほどいます。そこは絶対に誰ひとり信じず弊社ホスピタブルは原則としてデータ・ファクト以外は無視です。だから現場に行くのです。

今回の訪問で震災が起こったあとの韓国人のマインドの変化を全部把握したから、彼らがその後日本に来ると仮定した場合に理由はなんだとか。場所・何を買おうとしているのかというところをあらかじめ先に知れる。日本企業っていうのは買い手の情報を一番欲しがります。だから最初にそっちの情報を入手したかったのもあります。

 

修猷館時代、ラグビーのルールを逆手にとって攻撃していたというその理念ですね。(高校時代はラグビー部)

「先んずれば人を制す」とか「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」というのがありますが、マーケティングの場合は彼が「敵」、位置づけは「買い手」なんですよね。買い手を知って売り手を知れば絶対負けない。ていうのは通ずるものがあります。先に買いたいと思っている人の真相心理と行動パターンっていうのも把握しておくとハズレが格段に減りますね。

 

人材紹介事業についてですが、韓国の大学教授から「学生の就職で困っている。」というのを相談されたと聞きましたがいつ頃に?

2003年くらいですかね。KBC時代。僕の韓国語の恩師の先生からしょっちゅう連絡があって「俺の教え子の就職の面倒を見ろ!」と言われました。最初どう答えたかというと「嫌です」と・・・。
その先生に「なんでだー!」って何度も言われましたが。そんな簡単に就職先なんてあるわけないじゃんって思っていたらその先生が最後に「それをお前が作るんだよ!」と。(笑)
その一言がずっと心に残っていたのですが自分のいた前職(KBC時代)が新規ビジネスを取り込むような会社ではなかったのでどうしようかな。という思いはずっと心の隅にありました。正直、何度も先生が言うからしつこいな。と思っていましたが。(笑)

そのあとビジネススクールに入って経営学を学んで自分の会社の業界分析。これから先、マスメディア、地方局が右肩上がりになる見込みに限界を感じたのが34,35歳の頃ですね。
転職できない歳だよ。なんて周りから言われて会社に残ろうかどうしようか。と悩んでいたところにビジネススクールでシリコンバレーを一週間見て勉強するツアーの公募があって「選抜で来ないか?」と言われ応募したら行けることになりまして。会社の方には「一週間カルフォルニアにバカンスに行ってきます。」と嘘ついて(時効にしてください。笑)参加しましたが超缶詰の勉強。結構きつかったですね。その時に、インテルとかYahoo、Google、Youtubeの話を聞き、スタンフォード大学へ行ってITと映像音声の話など・・・すごくて愕然としました。

そこで話されていたのが“これから子供に何を教えるべきか伝えておく。英語・数学・科学・・・もうひとつがミュージックorアートそれを学んでアメリカに来たら世界中どこでも仕事ができる。”それを聞いて、ミュージックorアートって映像と音声じゃん。終わったー!て思いましたね。映像と音声で仕事して財を成すって旧来の放送局のビジネスモデルは10年以内に崩壊する可能性が高いなと。Youtubeとか見た時に情報の通信インフラが発達したらあっという間に抜かれちゃうなって感じて、「戻ってきた時に独立しかない。」そう思いました。GoogleがYoutubeを買収するとは思ってなかったので、そのときには独立した後だったんですが、あの時に放送局にまだ残っていたらどんどん僕は腐ってだめな人間になっていたと思うくらいその衝撃はすごかったですね。1年間かけて論文書きながら俺って何をしたら良いんだろう。とぼんやりずっと考えていました。

ネタはいくつかありましたが自分の強みを生かせれる事ってなんだろうと思って結局、広告事業とかウェブ媒体で情報発信と韓国語っていう言語っていうのを結びつけた方が良いのかな。とそんな話をしていました。

 

経営塾時代には、2003年くらいから言われていた韓国の大学生を日本に就職させるというのは頭の中にありましたか?

はい、ありました。しかし着手をしなかったのは自分の親の世代の話を知っているから、結局だめだろうと思っていました。だけど少子高齢化だし絶対にニーズはあるのでどちらからかラブコールは増えるだろうなと思っていたんです。そうなった時にどうしたらその話がレールに乗るのかなと考え出した結論は「韓国人で日本語を話す人を採用せざるをえない状況を作ってやろう」と思いました。簡単に言うと「日本企業を困らせてやろう」そのくらい外国人が来て儲かる会社を作っていけば絶対多言語を話せる人がほしいって欲が出るじゃないですか。(笑)それがないと人を雇いたいと思うかなと。要は顧客創造です。
先にウェブマーケティングでインバウンドの需要を増やして実績を作って人がたくさん来て儲かっている状態になった時に欲を出してもっとそういう人材をとって売上と利益を上げたいっていうような気持ちにしてあげれば人を採用することは簡単だろうと。

なので、ネタとしては温めておきながらどのタイミングでやるかっていうのはずっと考えていました。でも、もしかしたら震災と原発事故がなかったらもっと後回しになっていたかもしれないですね。早まった理由は思っていたよりも人材需要があるなとわかってきたのと地政学リスクでうちの事業は一回ボロボロになったのが自分でも反省点としてあったんですけど、他に自分の仕事のリスクってなんだろうとその時に見ていました。

もう一個出た結論っていうのがまさにリーマンショック。為替です。結局インバウンドの広告事業とそれに合わせた物販事業というのは基本的に「ウォン高円安」傾向になった時には強いけれど逆転になった時に輸入産業がないからコケる可能性が高いです。輸入産業がほしいと思った時に出た結論が求職者である若手の子たちは「円高ウォン安」になるとどうなるかって言うと年収300万に対してもらえると思しきウォンの金額が1,5倍くらいはね上がるんです。円高になればなるほど日本に就職したいと思える動機が増える。

どっちに転がってもどちらかの事業が絶対伸びるようにしておかないと、事業としてはうまくいかないなと思ったから2:1くらいの割合で輸入業と輸出業をあわせて構築していたほうが盤石になるかなとそれがもともとあります。政権が変わってこれだけ経済変わるのかって今回自分で仕事して痛いほど感じました。旗振って基幹事業としてサービスを輸出するって言うことを安倍さんがちゃんと言ってくださったお陰でコレだけ需要ができたわけじゃないですか。この円安の期間にみんなが儲かるだけではなく、一番やってほしいのは売り手である日本人が外国人に慣れることです。慣れたらもっと先がたくさんあるから。一番苦手な韓国人だからこそ先に慣れてもらったらと思いスタートしました。

合同就職説明会(韓国人大学生⇄日本企業>ニュース映像はこちらから)も自前で実施するのがもう気づいたら4年で12回ですね。東京などで多いのはIT理系人材が多いんですけど、ウチはみんながまさに苦手とする文系人材の紹介が一番圧倒的に多いですね。やっぱりそれはインバウンドに関わるとこで一番大事なのが全体的に事業再構築しないといけない旅館ホテルです。そこにどうやったら韓国人の子たちが積極的に入社してくれるかソリューション持っているというのが一番僕らも大きいかなと思います。

(インタビューのボリュームがございましたので、2日目に突入・・汗)

九大の法学部在学について

小学校の高学年、ずっと弁護士になりたかったんですよ。卒業文集に書いた記憶があります。実際法学部に入ってこんな重箱のすみをつつくような仕事向いてないな。と思ったんです。興味のない勉強をするのが嫌になったんです。同じ法学部にいる人達って正義感が強くて真面目だから憲法とか人権とか刑法、刑罰すごい興味あるんです。僕は全く関心がなくて(笑)。僕が一番何を学んだかというと民法です。基本お金に関係するルール以外興味なかったんですね。民法、商法、民事訴訟法、破産法、知財法とかは相当勉強しました。

民法に関しては、自分の恩師がその中の債権の専門家だったので、学年のトップの成績でしたが法律の世界は自分には向いてないなと気づいていました。小さい頃から社会科学系の学問とか知識とか興味があったんですよね。一般的に法律勉強してる人って民法苦手な人多いんですよ。要は面白くないんですよね。テーマ的につまらないんだと思います。特に大学のときには実感ないことばかりじゃないですか。契約書や、売り買いもない。僕は真逆だったので周りからもめずらしいと言われてました。
もともと親も商売しかしていないし、親戚周りの人達も商売しかしていない環境でものを黙々と作る人とかみたことないから僕も作れないんですよ。それ以外に自分の中になんら解決策も無ければ楽しさも知識もない。物も作れなければ僕は理科も苦手なんでどうしようもないんです。

どういうものが商いとして成立するのかとか人と接して人の商売っていうのをメディアのときはさんざん見せてもらったからどういう気持でご商売されてるのかなというのは肌で見てきたし、お客さんがどのタイミングで何に喜ぶのかというのはそこで学んだと思います。
僕ができることは所詮そこまでなので、その枠から先に進むことっていうのは原則できないと思ったので自分ができる範囲内の中で勉学も考えたんです。

 

現状、松清さんと韓国。切っても切り離せない関係ですが、より強く感じる部分がルーツの中にあるとお聞きしたのですが、詳しく教えていただけますか?

祖父が統営市(トンヨン=釜山の西の方)に当時住んでまして、市場もあって日本人もたくさん住んでました。実はそのことは自分の親から何一つ聞いたことないんです。自分が小さい頃に聞いたのは2つ。

・祖父、曾祖父が朝鮮半島にいて稼いでいた
・母、祖母、曾祖母がなぜかキムチが作れる

なぜ、韓国の料理が自分の家の家庭料理なのかな。と不思議に思っていました。朝鮮半島にいた時にお手伝いさんに習ったと人づてに聞いて「へぇ~」なんでそこにいたのか、そもそも家はどこにいたのか全然わからない状態だったんです。拍車をかけてびっくりしたのが大学の時に自動車運転免許をとって本籍地を住所としてみた時に見たことない住所がでてきて、しかも読めない。長崎県しか読めなくてまだ市町村合併が起こる前なので郡、町、字なんです。下県郡厳原町?これどこなの?と聞いたら「知らない。戸籍謄本とるときはここの役場に往復で送れば届くから」って。どこに送っているかもわからないし、インターネットもないので本屋に行って地図を買って探しました。

探せど、探せど出てこない。分厚い本の最後のページ「対馬」にあったんです。大学のとき実際に行ってきました。全部調べて家系図も作り、戸籍も調べて祖母が住んでいた当時の旧日本名の住所をお付き合いのある大学の先生に今の住所を調べてもらい去年父と母を連れていきました。松清家が対馬藩の武家だったことも誰も知らなかったみたいです。対馬という位置関係も、歴史をみたら日朝貿易で財をなしていて、朝鮮半島の貿易を唯一任されていた出島のような感じで田んぼがないので半島から輸入して食べていた事がわかりました。金・絹・魚を朝鮮半島に送って対価としてもらっていたのがお米、野菜。松清家は江戸時代からそこにいて、朝鮮半島へ渡り福岡へ来るまでの300年以上、朝鮮半島でできたお米や野菜を食べながら命を繋いで来ているわけです。それに対してなんと罰当たりなことをしてきているんだと。ショックを受けました。

親の代の朝鮮への苦手意識を引き継いだら祟りがあるんじゃないかと。この流れを止めなければならない!そのくらい危機感を感じましたね。とは言え解決策がない。政治では難しいことなのでビジネスでつなげていく方法しかないな!と思って、そして韓国語の恩師である釜山の大学の先生に「韓国の人材紹介とか人や情報を扱う仕事は日本人のお前がやれ。この背景のあるお前がやるなら日本企業は信じるはずだ。売り手が【コレ良いですよ】って売りに来ても信用ならないけど買手側の人間が目利きするのが信頼を生む。だからお前がやるべきだ」と。この場合、売り手が韓国、買い手が日本ですよね。そう言われた時に腑に落ちたんです。

橋渡しというかフィルターとしてどっちにとって何が得なのか、誰にとってロングスパンでビジネスが構築されていくのか解決策として持っておかないとみんなが不幸になる。所詮どの国に対しても好き、嫌いはあると思います。なんとなく嫌いって言うのをいい加減やめさせたい。もうちょっと具体的に嫌おうよ。そう思います。セミナーに行って、なんとなく嫌いと聞くと「みなさん嫌い方が甘いですね」とあえて言うようにしています。(笑)本当に好きな友達ができた時に誤解されてしまいますよね。僕は未だにこの仕事をちゃんと成立させて行かないと行けない!ていう気持ちはしっかりありますね。

 

やはり儲かるとか商売だけの気持ちではここまで進むことのできなかったのかと。

そうですね。きっと気持ちが無ければ簡単にやめると思います。ですが止めれない!無理です。止めた時点で一生気がかりが残りますから死ぬ以外方法ないです。シャレでもどうでもいいなんて言えないですね。

 

これからの韓国と日本の関わりや描くビジョンは?

役割分担っていうイメージを持っていて僕から見ると日本人は韓国人と商売するのは上手だと思います。
日本がメーカー、韓国がディーラー。韓国は見せ方、売り方、進出の仕方がすごく上手で日本人は作るのは上手ですがもって行き方が下手です。ギャラクシー(スマートフォン)こそが日本と韓国の融合だと思っていて中身全部日本製で側と売り方、販売戦略は韓国ですしね。

エンジニアも日本人は多いし本当は一緒にビジネスしているのにどうして表に出てこないのかなという不思議な部分もあったり。でもそれってどの世界でもいえることでいま拍車がかかってるなーって感じて見ているのが飲食業。日本食の修行に来ている韓国人の方が少なからずいます。福岡で修行して釜山でお寿司をおまかせで握れる方がいるんですよ。「おまかせ」ですよ?(笑)この人達はなにに価値があるかって言うと「日本で修行しました」=売りのポイントにしているんです。韓国で商売するのが第一ステージ、日本で修行した韓国人がしたいのは第三国で真の日本食をアピールして提供することなんです。じゃあ日本の職人さんがタイで商売しますか?しないですよね。韓国人の方々はフロンティアが多いから「俺、やりますよ」っていう方が結構多いです。

だけど大本の技術、ブランドは日本なんです。彼らがそれを求めているから韓国人の従業員を雇うことは必要だと思うんです。ディーラーを育成するイメージで。それがあるとお互い裏切れないビジネスの関係になれば気にならなくなるんじゃないかな。現実問題、戦前の方はしていたし対馬の方たちも「映画を見て美容室行くために釜山によく行ってたわよ」っていうんですよ。今のほうができるのになぜしないのか、もったいないなーと思いますね。

 

日本と韓国。松清さんのイメージする経済的な可能性は?

まだまだ、全然絡めてないと思うので「× 3倍」ほど伸びる可能性がありますよ。
渡航者数ベースだけで見ても 5千万の人口のうち6百万しか来ていないです。10分の1ですよ。600万の数字も延べ人数なので1人が10回来ていたら10人として数えられるから ネットで考えたら20分の1くらい。向こう(韓国)で日本食品とか日本の製品サービスとかを消費している人はもっと多いんですよ。お互いニーズはあるし売上の実績ってのは多数あるからもうちょっと「人・物・お金」の交流っていうのが顕著にでれば日本としてはリソース増えるし悪いことはないんじゃないかなと思うんですけどね。

 

アメリカの人口が2億3千万人くらい。韓国+日本で1億7千万人としたら、結構な経済圏だと思いますがもっと有効に活用できたらいいですね。

九州・山口で1400万人、釜山だけで500万人いるからそう考えても2000万人の商圏ってそんなないですよね。けどそれが確実にできていて福岡市が550万人で韓国人が150万人来ているわけです。それもお金使いに。凄いじゃないですか。僕の知っている限り、韓国の方で日本で着物を着たから、次はチャイナドレスを着に台湾へ行こう〜、なんて聞いたことないですもん。
もっと広げられるんじゃないかな。可能性はすごくあります。

 

松清さんの故郷福岡に対する愛情はどこに?

とにかく「商店街」ですね。福岡の商店街の方もすごく僕のセミナーを聞いてくれて面白いと言ってくれるんです。僕がすごくこだわっているのが、“おもてなし否定派”なんです。そんなものはいらない。
みなさん外国人苦手でしょ?そこからはじめるんです。儲かりたいからと媚を売る形ではなく、挨拶を覚えないといけないとか。嫌なことをする必要はなくて、コレとコレさえすれば外国人と商売できるっていう手軽さを味わってもらいたい。そして「俺でも売れた!」っていう小さな成功を全部味わえる状態にしてあげた方がうまくいくと思います。それは結果的にお客さんからは「おもてなしができている商店街」ってちゃんと見えればいいんです。売りやすい買いやすい環境があればお客さんは満足度上がります。どうおまけするかはお店側の自由ですから好きにする。

ただ、自分たちの商品が好きだっていうお客さんがくるだけで商店街の方たちは喜ぶでしょ?実は浴衣・着物のレンタルやってるときの面白い反応を聴きまして。某商店街のおじさんたちは、キャリーバックをもって商店街歩いていても笑ってもくれないし愛想も振りまいてくれなかったのに、浴衣に着替えて同じ場所を歩いていたら「外国人さんが着物ば着とうばい、かわいかねー!」ってがらりと態度が変わって「お姉ちゃん、アレ持っていき、コレもっていき」と声をかけられたそうなんです。浴衣に着替えた子たちがみんな、お姫様気分で嬉しかったって言っていました。

買い手は商店街が好きなんです。そこにヒントがあると思うので、ふさぎ込んでしまっている商店街の方々も心を開いて理にかなったやり方を受け入れてもらって、希望の見える商店街にしたいですね。なんかできそうな「気がする」がほしいですよね。

 

松清さんがそのまま弁護士になっていたらきっと福岡に来る韓国人客は、今の10分の1くらいだったかと。

ほんと、ならなくてよかったです(笑)。

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