公益財団法人 福岡アジア都市研究所 調整係長

中島 賢一

1971年 熊本県出身

1995年に東京のIT企業に就職しソフトウェア開発・マーケティングなどに従事し、2004年に福岡県庁に民間企業経験者採用枠で入る。ITと産業を結びつける動きを盛んに行ない、Rubyビジネスとコンテンツ産業振興の中核施設「福岡県Ruby・コンテンツ産業振興センター」の設立に尽力する。2013年4月福岡市役所に移籍し、ゲーム、映像、インタラクティブアートの分野の産業振興のほか、スタートアップ支援などに力を注ぐ。2016年4月に福岡アジア都市研究所へ出向。 プライベートでは、オンラインのオリジナルゲームの制作や、非公式で子ども向けトレーディングカードゲームの大会も開催している。


 

九州・山口出身で、様々なシーンで活躍する人たちの仕事やルーツに迫るインタビュー企画。今回は、福岡市の職員でありながら、ITやゲーム、映像などクリエイティブな分野のコミュニティとの関わりも深く、現在は公益財団法人「福岡アジア都市研究所」に所属する中島賢一さん。ITとの出会いや、民間企業時代から行政での仕事、地元・熊本や福岡のことなどについて、話をしてもらう。

 

現在、所属している「福岡アジア都市研究所」はどういったところで、その中で、どのようなことをされているのか教えてください。

ここは、福岡市の都市政策など社会における様々なことを研究し、データに基づいて分析し、政策提言するシンクタンクです。独自に調査研究をして提言する場合と、福岡市から依頼されて研究をすることもあります。例えば、スタートアップというテーマが福岡市では盛んですけど、“実際、開業率って何パーセントなの?”といったことも調査しています。

私のように市の職員も出向できていますけど、民間企業にいた方や、大学で教授や研究をしていた方もいまして、社会、科学、経済、環境といった分野のプロフェッショナルの研究員がいます。私はITやデジタルコンテンツ分野に詳しいということもあり、半分研究員のようなこともしています。
それから、その得意分野を生かして、ITと◯◯といったように「教育」「高齢者」「食」「流通」などと結びつけて研究自体をコーディネイトするということもしています。だから、肩書を“コーディネーター”にしてほしいと言ったのですが、“調整係長”ってですね…(笑)

その何かと何かをくっつけるというのが、私の得意とするところでして、ライフワークのようになっています。企業と企業、アイデアと企業、企業と人、とそれぞれのパターンに合わせたイベントやセミナーなどの場を設けるというようなことを、ここ10年くらいはしています。

 

得意分野であるというITやデジタルコンテンツに
興味を抱いたきっかけは何かあったのでしょうか?

大学、大学院時代は、ITなどとは関係のない化学の勉強をしていました。特定の金属が地球上で存在しない状態を作るというような研究をしたりしていたのですが、その時にパソコンを使っていたんです。

90年代初頭の当時、私はポケベルや携帯も持っていませんでしたが、大学のパソコンはインターネットにつながっていたんです。図書館で調べなくても文献を見ることができたり、メールでコミュニケーションが取れたり、ゲームができたりと、個人的には魅力を感じていて、これからは“インターネット”じゃないかと思っていました。

そして、化学系の企業や研究所からのアプローチをお断りして、IT系の企業に就職したんです。熊本に住んでいて、地元が大好きだったので、東京と熊本に拠点があり、インターネット関連の仕事ができる会社という条件で探したところ、1社しかなかったので、そこに行くしかないと思いました。ですので、興味を抱いたのは、この頃でしょうか? 今となっては、あんなに勉強していた化学のことは忘れてしまっていますね。“水銀は危ない”といったくらいですね(笑)。

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将来のITやデジタルコンテツのあり方を
イメージしながら働いていた民間企業時代

そのIT会社の面接で、“これからはインターネットが来ます”って熱く語っていましたが、いま思うと恥ずかしいですね。向こうは、それを専門としていますから。私は、プログラミングの経験もなかったのですが、面接が良かったのか分かりませんが、就職することができました。

その会社には9年いましたので、様々な開発などにも携わってきたのですが、日本とアメリカを光ケーブルでつないで、“パソコンに動画”を送るというような実験を大手通信会社と一緒にすることもありました。90年代中頃の当時は、携帯やPHSが出始めた頃で、将来この“動画”を、携帯などに送れたらいいなと思い、その実験とプログラミングに情熱を燃やしていました。今では、携帯端末で動画を見るのは当たり前になっていますけどね。そういった時代が来るだろうと、セキュリティや暗号などの開発もしていました。

時代の節目節目にモノを作るという立場にいましたので、世の中を変えるのは技術ではないかと思い、テクノロジー信仰者になりました。ここで働いている時に、テクノロジーをベースとした考え方ができたんだと思います。

 

転職を機に民間企業経験者採用枠で福岡県庁に入る

福岡県庁に入った時、これまでソフトウェアの開発とかマーケティングとか、バリバリやっていたので、そういった関連の部署に入れるのかなぁと思っていたのですが、税務課でした…(笑)。え!?って感じでしたけど、データ管理しているシステムを再開発するということだったので、やる気を出していたのですが、ほぼ開発は終わっていて、最初は職員のPCの入れ替えをしていました…

4年間、その課にいまして電子納税の導入など、そういうことには携わりましたが、何かを“やった感”は少なかったですね。その課から移動する際に、好きなところを選択させてもらえたので、ITやデジタルコンテンツに関する部署に行くことができ、そこから加速度的に動きだしITの産業振興を始めました。ちょうど、庁内でもそういう流れがあり、私が大々的に担当することになり、提案した企画も通り始めました。

民間時代に、ビジネス系のパッケージ商品などの企画や販売もしていました。ビジネスをコーディネイトして形作って、世の中に広めて行くということをしていましたので、そのパターンを当てはめたところもありましたね。思い返すと、上の方の理解があり自由にさせてもらいました。

 

その間に培ってきた大切なITコミュニティとの関係

2007,8年ごろ、福岡でITやクリエイティブ関連のコミュニティができてきたので、その人たちのところに行きイベントに参加したり、一緒に企画したりもしていました。最初は、スーツ姿で“県庁から来ました”と言うと、「県庁!」「スーツ!」みたいな感じでバカにされていたんですよね(笑)。

ある時、プレゼンをする企画があり、民間時代にはソフトウェアの開発や商品企画をしてお客さんに販売をしていたこともあり得意としていたので、私を知ってもらうのに良い機会でした。それまで、“プログラミングのこと分かるんですか?”と言っていた若い世代の人達が、“ホントに県庁ですか?”、“以前は何をしていたんですか?(税務課です笑 ウソでしょ!)”と聞いてきて、自分たちと同じ考えや視点を持っている人だと分かってもらえました。

そういう活動を続ける中で、こういうイベントをするので協力してもらえますか?といって始まったのが、
「明星和楽」でした。2011年の第一回から関わり、最初は会場のゴミ捨てなどもしていましたよ(笑)。それほど、コミュニティに入り込み、垣根なくやっていましたね。

 

コミュニティへ入っていったのは何かあったのでしょうか?

福岡の人はクリエイトするところにこだわっている方が多くて、シンパシーが合うんですよね。彼らとコミュニケーションをとっていると面白いですし、楽しいです。それから、コミュニティにきちんと関われていれば、民間の動きや何が必要なのか、それに対して行政は何ができるかを知ることができますしね。現状を知らずに政策だけを民間に押し付けてしまうと、現状とのギャップが生じ、効果のない予算だけを使った事業になってしまいますし。

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環境面や人材面から福岡におけるITの特性を考える

福岡は、広い土地や水が少ないといった環境面から工場など大きなものを作りにくいですし、空港が近いため建物の高さ制限もあります。そうすると、必然的にサービス産業で勝負することになるんです。飲食とか流通、デザインといったオフィスの中で完結するものに。その中の一つとして、自分はITだと思うんです。

昔から福岡は支店や支社が多く、九州の中心地として中央官庁も出先機関もあります。そういった中央から仕事を受け高いものを求められてくるので、それに応えていく技術力の高さは持っているんです。ただ、自分たちのプロダクトではないので、自分たちで作り出せるような環境作りにも取り組んできました。

それから、福岡はインターネットを使ったビジネスに早くから取り組んできた会社が多いのも特徴ですね。特に多いのは通販会社。通販にはインターネット、デザインなど関連するものがあるので、そこから技術者やクリエイターが育ってきたのではないでしょうか。ゲームの分野でもソフトウェア会社や制作会社が、随分前からあったのも独自性の一つだと思います。

 

恵まれた場所とマッチできてラッキーでした!

私は、そういった特性のある福岡という恵まれた場所で、ITというキーワードのもと一定の塊(コミュニティ)の中にいることができました。同時に、この街のサイズ感で、トップスピードで何が自分にはできるかを考え、それがうまく合ったように思えます。出身地の熊本に同じ立場でいたら、そこに合わせた考え方をしたと思います。

 

地元という感覚はやはり“熊本”ですね

福岡県庁時代、ソフトウェアの拠点施設を設立しましたし、ここでできることはやった気がしたので、元の業界に戻ろうかと考えていたところ福岡市役所からオファーを頂いたので、ゲーム・映像係という、日本で唯一“ゲーム”と名前がつく行政のセクションに就き、縁があって福岡には住んで13年になりました。

福岡は、住みやすくていいところで好きですし、課せられたミッションもあるので住んでいますが、出身の熊本に行くと熊本の人だなぁと思い、やっぱり心は地元にありますね。機会があれば地元でも何かしてみたいですし、熊本の人と一緒に何かするのも面白そうですね。

東京に全国から人が集まるように、福岡には九州から人が集まってきますし、私のように熊本出身が福岡の街に関わるようなこともありますよね。
福岡出身ではないから、客観的に見ることができているかもしれません。街のことは好きなんですけど、ここが弱いかなとかが見えてくるような気がします。

これからも前例にとらわれず、“新しい”ことを考えながら、いろんなものをくっつけていきたいですね。だから、私を行政の一職員として見るのではなく、何か一緒にモノを考えたい、新しいことがしたい時に、相談役の一人として扱ってほしいです。

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Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)