株式会社ライフデザイン 代表取締役

原 一也

1974年 長崎県松浦市出身

1996年まで伊万里湾に浮かぶ福島で測量関係の仕事をしながら過ごす。1997年、Apple社のMacintosh購入を機にデザインを学ぶため大阪へ。その後、福岡に拠点を移し、様々な制作会社での経験を経て RKB毎日放送でWeb制作など実践経験を積む。 2006年、株式会社ライフデザインを設立(設立時:原デザイン事務所)。インターネット・映像・印刷物など幅広く制作物を手がける。近年は、動画制作やステージ演出映像などインタラクティブ性をもった演出も行なう。2013年、Fukuoka Projection Mapping Award 2013グランプリ、2015年、DJiSOPと制作した作品にてFUKUOKA Creators Award2015審査員特別賞などを受賞(ともに音楽はSteamworkが担当)。個人として、クラブイベントなどでVJ(PLUG-IN)としても出演する。http://life-d.jp/


長崎県の北部に位置し、かつては炭鉱もあったという福島。海や山といった大自然に囲まれていたが、信号機やコンビニもなかった島で育ったという株式会社ライフデザインの代表・原 一也さん。現在は、映像コンテンツやインターネットの制作などを手がける会社を経営しているが、23歳までは異業種で働いてきた。今回、原さんが15年渡り拠点としている福岡市の百道を訪ね、いまの道に進むことになったきっかけや地元への想いなどを伺ってきた。

 

株式会社ライフデザインの事業内容などを教えてください

2003年、Webページの制作が普及し始めた頃ですかね、その時にRKB毎日放送さんのホームページ制作の仕事を頂いたことをきっかけに、3年後の30歳の時、ホームページを中心に印刷物なども制作するデザイン事務所を開業しました。趣味でVJを18年ほどしていまして、独学で映像を作ってきていたのですが、近年はプロジェクションマッピングをはじめとする動画制作も依頼して頂くようになったので、制作関係全般の“何でも屋”のような感じです(笑)。

インターネットなんかもそうですけど、デジタルの世界って新しいものが次々と出てくるので、それらを追っかけ続けていたら、こうなっていました。最近は、プロジェクションマッピングや、ドローンによる撮影、360度の映像を生かしたVRなどが気になりますし、実際に取り組んでいる部分もあります。幅広く媒体の制作をしていますが、時代に対応した独創性のあるデザインということを常に心がけて、人の心に残ったり、響いたりするものを届けたいと思っています。
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社内での原さんのお仕事について聞かせてください

もちろん、代表として経営的な面も見ていますが、クライアントさんとの窓口として動くことが多いですね。Web制作などスタッフに任せている部分もありますが、監修としてチェックしたり、進行具合を確認したりもしています。ただ、映像コンテンツは全て自分が担当し、外部ブレーンと共同するなどして作っていますよ。いまは、大きなイベント案件が3か月に一度ほどあるので、年に何回かは徹夜していますね(笑)

 

どのような映像制作をされているのですか?

まず、RKBの中にあるメディア事業局が携わるイベントなど放送外の映像があります。例えば、福岡アジアコレクション(FACo)のステージで使用する映像とか。今年も3月に開催されるので、いま企画に参加しているところです。最初、FACoに関しては、事務局の方から「確かVJしてたよね?」みたいなお誘いで、会場内のVJとして入ったんです。数年前から、スポンサーさんのオープンニング映像を作ってみませんか?」となり、制作の幅が広がっていった感じですね。FACo以外では、ヒルトン福岡シーホークで行われた都築学園創立60周年記念祝賀会のオープニングをプロジェクションマッピングで演出させてもらい、屋内での演出では今までで一番規模の大きいマッピング企画でした。


都築学園創立60周年記念祝賀会オープニング

 
そのほかでは、大分県の別府にある海地獄長屋門のプロジェクションマッピングなんかもあります。マッピングの仕事を頂くようになったのは、2013年に開催されたFukuoka Projection Mapping Awardというコンテストに作品を出したらグランプリを獲ったのがきっかけなんですよ。審査委員をされていたのが、この世界では有名なRhizomatiks(ライゾマティクス)の 真鍋 大度さんだったんですけど、憧れの人でしたし直接トロフィーをもらった時は嬉しかったです!ただ、その時の写真はないんですけどね…。誰か撮っといてよ!という感じでしたが(笑)。同時期に、プロジェクションマッピングの本を出している会社antymark(現antymark anex)の方とイベントで会うことがあり、その方から声をかけてもらい海地獄の案件には携わりました。

映像関係の仕事はVJとしての活動とつながっているところもあるんです。新しい映像の表現なんかをクラブでのVJをとおして試すというか、確認というか。お客さんの反応を直に見ることができますし、新しい発想や刺激を得ることができていますね。


別府海地獄 夜の海地獄長屋門プロジェクションマッピング

 

現在の仕事へとつながるMacとの出会い

生まれ育った長崎県にある福島は、私が10代の頃は人口3500人ほどの、信号機もコンビニもない小さな島でした。 炭鉱で栄えていた頃は、もっと人口も多かったようですし、映画館もあったみたいです。その島に23歳までいまして、昔から製図や図面を作成する事が好きだったので、高校を出てからは測量関係の仕事をしていました。

実家の近く福島港_Fotor画像提供:株式会社ライフデザイン
そんな田舎でしたが、洋服や音楽は好きだったんです。その頃は、裏原ブームでしたし、ファッション誌を見て欲しいものがあればショップに “このアイテムありますか?”って 電話しまくっていましたね。福岡にも、よく買物に来ていました。それで、そのムーブメントの中心ともいえるような藤原ヒロシさんがApple社のMacintosh(通称:Mac)を沢山持っている記事を見て、なんか、Mac=オシャレみたいな感覚になり、その一貫で購入したんです。当時、80万くらいしたんですけど、田舎にいるとすることがなくて貯金は少しあったので現金で、エイっといった感じで(笑)。そのノリでまわりの友達も買ったんですが、“コレ、どうやって使うん?”みたいな(笑)。

それで、もう測量はいいや、ちゃんとMacが使えるように勉強がしたいと思い、大阪のデジタルハリウッドへ行くことに。その頃、東京と大阪にしかなかったから、大阪へ行くことにし引越しの荷物を送り終えた日に、“福岡校開校”というチラシが… 何のために大阪へと思いつつも行ってきました。
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次の拠点を福岡にしようと思ったのは?

大阪でパソコンの基礎的なところを学んだあと、大阪には残らず福岡へ向かいました。長崎にいる頃から、福岡にはよく行きレコード店やアパレルショップなどから刺激を受けていたというのもあり、肌感覚が合っていたのと、魅力を感じていた福岡を拠点にしようと思ったんです。とはいえ、最初の1年くらいは仕事が決まらなかったので、箱崎ふ頭でコンテナの荷降ろしバイトをしながら、VJ活動をスタートしました。VJを始めたきっかけは、2000年ごろでしたか、Zepp福岡でのChemical Brothersのライブでしたね。あの音と映像が融合した感じ、なんて気持ちいいんだろうと。初めてのVJで共演したDJのKO*HAYASHIくんとの出会いが、その後福岡でのVJ経験を積める場を作ってくれた感じです。

 

福岡で会社を立ち上げるまで

その後は、印刷会社などで制作のアシスタント的な感じで働いていたんですけど、VJの活動は続けていたんですね。とある日に、その会社のデザイナーさんとの会話で、“映像って本当オモシロイんですよね”と自分が言ったところ、「じゃあ、なんでこの会社にいんの?」って言われ、次の日には辞めますと宣言していました。そして、また箱崎ふ頭ですよ…。海が俺を呼んでるじゃないですけど(笑)。そうしているうちに、先ほども話したように27の時なので2003年ですかね、RKB毎日放送さんがWeb制作のアルバイトを募集していて、入ることができたんです。ホームページ作ったことなかったですけど(笑)。そこで、経験や実績を積ませてもらい、人脈も築かせてもらったというのもあり、30歳の節目に自分の会社を立ち上げたいと目標を決め、実行した感じです。

したことがなくても、面白そうだなぁと思うと、すぐ次に向かってしまうんですよね。プロジェクションマッピングのコンテストの時もそうで、作ったことはなかったんですけど、頭の中にはイメージがあるので、あとはカタチにしていくみたいな。

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現在の仕事を通じて今後してみたいことはありますか

最近は、佐賀県・伊万里の方でのWeb案件で、地元のすぐ近くまで行って仕事をする機会もあり、いずれは地元・長崎県の福島での仕事もしたいですし、島のために何かできたらとは思いますね。23歳までいましたし、僕の基盤を作ってくれたのは島の海や山といった広大な自然だと思うんです。家から歩いて1分で海だったんで、小さい頃は泳いで遊んだり、中高生の頃は夜な夜な防波堤に寝転がり海に映る月と星空を眺めて、色々な事を考えたりしていましたね。今でも、たまに地元に戻ると、時間の流れがゆったりとしているので癒やされます。棚田の景色が広がるところもあるので、ぼ〜っとしに行くこともありますよ。

土谷棚田_FotorP1010985_Fotor
画像提供:株式会社ライフデザイン
いままでの経験技術やアイデアをいかして、 島に住んでいる子供達とその親御さんに、なにか伝えて刺激を与えられることを実現できたらと思っています。その棚田にインスタレーションを加えた映像の投影や、ライトアップができないかなぁとか。少し前に、信号機がやっと一つ設置されたような島なので、一番大きな建物といったら学校なんですよね。去年だったかな、過疎化が進み小中学が合併したようなんですけど、例えば新校舎にプロジェクションマッピングして、島に住んでいる子供たちに見せてあげるとかですね。多分、テレビとかでしか見たことないと思うので実際に間近で見て、これを作っている人が島の人なのかぁ、こういう世界もあるんだなど、色々と感じてもらい、新たな希望を持ってくれる人が増えたらいいなぁと思います。

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撮影協力_マンマ・ミーア(MANMA MIA)、Photo_大林直行(101DESIGN)、Edit_Text_多田真文(REDACTION)
以下、福島の景色やVJの様子のフォトギャラリーもご覧ください